なぜ株をやるのか? 一生奴隷として生きるより野垂れ死を選ぶ
2020年06月13日
これはどっちが得とか損とかいう話じゃなくて、生き様の美学の話なんですね。どうせ死ぬ時に持っていけるのは思い出だけ。結果はともかく自分は挑戦したということに納得する方が幸せだと思うか、あくせく這いつくばって少しでも豊かさを手に入れた方が幸せだと思うか、ほとんどの人は後者ですけど、挑戦してみようという人間もいるから世の中面白い。挑戦というからには、行き当たりばったりのプータロー上がりのデイトレーダーなんかとは全く別次元の話です。本気で奴隷からのし上がってみせると言う確固たる決意とそれを裏打ちする勝負根性がないことには挑戦にならない。
挑戦して野垂れ死にする奴は馬鹿だと、奴隷なら思うでしょ。大人しく生きて奴隷なりに多少の豊かさを手に入れた方がよほど賢いと。でもその奴隷が嫌だから株式投資にかけてみた人間にとっては負けても納得のわけです。どうせ奴隷じゃたかが知れている。そもそも死ぬ時はみんな一緒です。それにうまくして勝てば笑いが止まらない人生が待っている。
ただ間違いなく言えるのは、坂口安吾の言うラムネ氏の例えにある世情の本質です。挑戦する人間がたくさんいて、その中でわずかしかのしあがれない。でもわずかな差で転落していった人間の、言うなら裾野があるからこその勝者なわけです。勝者と敗者の差はわずか。戦国時代のなりあがりと同じです。豊時秀吉の予備軍は何万人もいたでしょう。でも成り上がれたのはごくわずか、そのごくわずかだけが挑戦して、他の奴らは大人しく生きたなら秀吉さえきっといなかった。この世間の機微がわからないのが奴隷ということです。
わたしは一生奴隷として生きる人間を馬鹿にしていると思うのは間違いです。そこらにみなさんよりよほどの辛酸は舐めてきた。その中で奴隷として一生生きると決める覚悟にも感動すら覚えます。それもまた生き様の美学のわけです。一番愚かしいのは多少まともな奴隷が、挑戦者の美学をこころえず馬鹿にして笑うことです。あいつはどうせ野垂れ死ぬと、人の不幸を望む奴隷もいる。奴隷もいいけど、それはあかんねと思います。
購入した最後の絵
額と絵と別々に発注したんだけど
なんと額のサイズを間違えた額の方が横幅が大きい!
業者も不親切だけど一応書いてあるので落ち度は訴求できない
でも入れたら入れたでなんだか落ち着く
パッと見てもわからない
それとキャンバスが見えるので油絵?って感じでもある
逆に額の方が小さかったら最悪だから
一応入ったので
いわゆる不幸中の幸いだ
これでしばらく行く
最近はインテリアと雑貨と絵のブログになってきている
面白いんだから仕方ないです
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