偽善家と偽悪家
2020年05月19日

娘が自転車で引っ掛けて鉢ごとひっくり返したんだけど
ちゃんと花が咲いてくれた
それは皆が幸せになることは良いことだとは誰でも思うけど、自分ができることでもないし、わざわざ言う意味もないし、実際自分には利己的な部分も潜んでいると、普通の人は自分でそう思うから、わざわざ言わない。でもそういうことを言う人は一定数存在する。なぜだろう?って興味を持ってよく観察していた。人からよく見られたい人ってのは間違いないと思う。他人の評価とか視線をすごく気にしていたから。
それとやはり自分に甘い人だった。つまり自分は立派なことを言う資格があると思っているんだね。よく言えばやましさがない。少なくとも言って恥ずかしいとは思わない。逆に人が綺麗事を言うのを嫌う傾向があった。これがまったく傑作で、自分こそ口だけなのに、あいつは口が達者だなんて平気で言えたりで、わたしが笑ったりするとなんで笑うんだて顔してた。
こういう偽善家はどういう生い立ちかと言うと、末っ子で甘やかされて育ったとか、あるいは母子家庭で甘やかされて育ったとか、別に末っ子でも母子家庭でもいいんだけど、要は甘やかされて育った人が多いという傾向はあったと思う。ただ甘やかされるとすべてそうなるわけじゃないはずだ。実際うちの娘はずいぶん甘やかしたけど綺麗事を言うタイプじゃない。
甘やかしかたになにか歪みがあったと思うしかないけど、言うならいつも自分が肯定されていないと心が落ち着かないタイプと言えるかもしれない。だから自分を肯定してくれる人が好き、批判する人は嫌いという構図になる。
親から虐待などされたりして十分な愛情を注がれないと、どういう子どもになりやすいか?これは偽善家の逆で偽悪家になりやすい。自分なんて、どうせ愛されない存在なんだと、刷り込みが入っているので、人の好意を素直に受け入れることができずに、わざと悪ぶったりする。試し行動という表現もあるが、愛されたいと強く思う反面疑いが強く、悪ぶって逆に呆れられると、やっぱりなと妙に納得する傾向もある。こういう人が大人になると、何を言っても斜に構えて、人の言葉の裏を探ろうとする傾向がでてくるというのはわたしの仮説。
偽善家と偽悪家には共通点がある。他人からの評価を非常に気にするという点である。でもこれは皆あることだからあくまでも比較論でいうことかもしれない。いずれにせよ偽善と偽悪という切り口で見た場合にはわりと極端なケースということで、人によっては偽善的な面と偽悪的な面が混在したり、どちらかと言うと、こっちかなって傾向が出たりで、どっちも何もないってことはない切り口だとは思う。
ということで何を言いたいのかと言うと、上に書いた通りでそれ以上でもそれ以下でもないです。世の中にはいろんな人がいて、一人の中に複数の傾向を内包しながら、なんか言ったり行動したりして、それを観察するのは興味深いってことです。ブログとか読んでいると、この人は本当はどんな人なんだろうな?とかどんな生い立ちでどんな環境にいるのかな、、なんて想像して、それで、ああやっぱりなとか、アレ、意外だなとか、、、なにせ言っていることしかわからないから逆に想像力をたくましくしてなかなか楽しいわけです。
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