寄付をしたところで、誰に何の影響もない

2020年05月18日
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株式投資








しばらく乗っていなかったトレック77の整備をした。スピードメータとかサイクルコンピューターの電池入れ替えと再設定。これがけっこう時間がかかった。空気入れも購入した。一台が那須にあるのだだけど、さいたまでも買うことにした。チェーンにオイルをつけて、あと車体を拭き上げるくらい。それでもおよそ半日かかった。

スマホでブログを更新する方法について、いろいろ調べて再整理してアプリを入れ替えた。あまり小細工せずにGmailで本文を打って、写真はGooglephotoから直接添付するのは一番スムースだとわかった。要らないアプリは消したので少し反応がよくなった。これで半日。

ということで一日が終わるわけだが、こうやってわずかに暮らしの質を上げることで一日が終わるのは存外悪い気分ではない。こんなことは一例で、例えば納戸の整理とか、車につける小道具とか、やはりやればやってで便利になったなと、ささやかな満足があって、それを積み上げる日々である。ゴルフをしたり山歩きもいいけど、生活品質改善作業もなかなかいい。なんと言ってもゴルフはこれ以上の改善は難しいからね。

こういうご時世になると、寄付という話題が必ずでてくる。余裕がある人が寄付をするのは自由である。わたしだって長年寄付はしてきているけど、これで誰かを助けたいとか、はたまた感謝されたいとか、そんなだいそれたことは毛頭考えていない。ただただ恩返しであり、自分の納得のためである。

寄付される側に子どもとしてまた児童養護の現場にいて、いわゆる弱者側に長くいた経験からすると、寄付なんかいくら来たって別に嬉しくもない。助かったなんて実感もない。どうせ金持ちが自己満足で金を配っているだけだろう。極端な言い方をしたけど、実際のところはそんな気分はあるんです。だって金を送る人間は決して姿も見せずに、貧しい人間の心の痛みを一緒に共有するわけでもなく、ただ余った金が来るだけ。わからないでしょう?この気持ち。

わたしは54歳で会社を自己都合で退職しました。同じ会社に残ってもあるいは転職しても、たぶん今でもバリバリ働いていることは可能な経歴でした。長く働けばそれだけ年金も増えたわけで、わたしが早めに辞めたことで失ったお金はざっと一億円くらいあります。じゃあ今でも働きながら一億円寄付した方が良かったか?

わたしは断じてそうは思いません。わたしは児童養護施設で働き、子どもたちに直接接して、夢を語り、そしていくばくの渾身の努力でわずか一人二人の人生に関わった。人一人ができることを精一杯行った。この先どうなるか?それは知りません。ただ子どもたちは一生わたしのことを忘れないだろうし、わたしも一生子どもたちにことを忘れません。なんらかのつながりを意識しながらこれからも生きていきます。この価値は一億円以上あると、わたしは思っています。

僕の時間をあげるという絵本を読んだことはありますか? 愛するものに捧げる一番大切なもの、それは、わたしの時間というお話です。わたしはお金の使い方より、いつも時間の使い方を考えております。まあ昼寝朝寝もしておるんで、あまり偉そうにも言えないのですけど、起きている間はそんな気概で生きております。

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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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