気に食わなければ読まなければ良い、と言う人

2020年04月11日
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日々の雑感ーリタイアライフ
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さてマロはどこにいるでしょう?

コロナ騒ぎで国民が分断されるという事例が増えてきていると感じてます。都会の人と田舎の人とか、県を跨げば感覚が変わるとか、30万円貰える人と貰えない人、収入が激減する人とそうでもない人、休業補償される人されない人、株ブログだって上がるぞって人と下がるぞって人で分断が激しくなっている気がします。

コロナが国民的な苦難であるとするなら、そこで日本人の民度が問われるかもしれません。大切なのは自分と違う考えの人たち、あるいは自分と異なる環境にある人たちに優しくなることです。たとえ自分が正しいと思っていても、ここは他人を非難する気持ちの矛を収めるべき時だとわたしは思います。

コロナ騒ぎで確かに酷いなと思う事例も見聞きします。だがそれを非難しても向こうには向こうの言い分もあるでしょう。そして自分だって同じような境遇になれば同じことをするかもしれないと一歩引いて考えてみれば、非難が前向きな議論を生まないことも明らかです。もちろん目をつぶれ、口を閉ざせとは言わないです。そこは言いようってとこかもしれません。軽いジョークで笑いに包むとか、つまりほどほどにしとくってことです。優しい視点を持つと言ってもいいかもしれません。

ネットで一般の人も気軽に発信できる時代です。こうなってきたのはこの10年くらいが顕著かと思います。かつて日本人は平気で歩きタバコをして吸殻を街に捨てていました。車からゴミを捨てる人もいました、さすがに野糞はしないけど立小便なんて平気でしていた。そんな人も今は自然といなくなりました。声高に非難されたからいなくなったわけではありません。全体の意識が変わったということです。

ネット上のブログやコメント、FACEBOOK, ツイッター、を見ていると、いわゆる昔で言う、ゴミや吸殻のポイ捨て、立小便みたいな、アウトプットが溢れています。感情を垂れ流した漫画の吹き出しのような発言とか、汚い言葉を平気で使う人もいる。平気で適当な情報を垂れ流す人もいる。実生活では決してしないことを、なぜするのか? それは知っている人間が見ていないと思うからです。どうせネットだ、いくらでもリセットすれば済む。そういう人が今はとても多いと思います。

でもいつかきっとこれは変わるとわたしは思いますね。時代は必ず変わる。どう変わるかはわかりませんけどそういうもんでしょう。実際街からゴミは減りました。そんな意識でいくつかの記事を最近書いています。わたしのようにハルトモという名前で15年もブログを書き続けて、そして書いたものが、古くても公開に耐えうるならいいでしょうが、、そうでないポイ捨てのような発信なら、、、

わたしが言いたいのは、ゴミなら拾って捨ててくださいということです。出してしまったものは仕方ない。でもゴミだと思ったら捨てた方がよいです。ネット上では書きっぱなしで放り投げたゴミのような発信が放置されていて、検索すれば引っかかることも多い。放置した本人はすっかり忘れてるかもしれませんけど、そのゴミを否応なく見る人もいるのです。街中にゴミが散乱しているようなものです。片付けて欲しいものです。

気に食わないなら読むなという発言はわたしは賛成できません。公開されたところで発言している以上、それは言ってはいけません。街中で演説して嫌なら聞くなと言っているようなものです。そういう人は人の耳に入るところで演説してはいけないのです。FACEBOOKで自分のみ公開ってありますよね。あれはオススメです。ぜひご検討ください。いわゆる自分専用のゴミ箱ってことですね。
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