歪んだ正義感の持ち主は幸せになれるかな
2020年02月20日
滑走23日目
ゲレンデコンディションは最高だ
それにしてもこのゲレンデは空いているというレベルではない
まさに静寂である
こんな空いているスキー場で
がら空きの駐車スペースの管理がおかしいと
自分がスキーもしないでスキー場にねじこむ人間がいたらしい
正義感が強いのであろう
まず小さな話をしてみよう。自分が片側二車線の道路を走行していたとしよう。隣の車線の車がウィンカーを出して寄ってきた。自分がアクセルを緩めればスムースに入れてあげることができるが、そこでアクセルを緩めたくない人がいる。そこで一瞬過ぎったのは自分が正しい、つまり正義だという感覚である。すなわち相手は不正義で悪であるとなる。わたしなんかウィンカーを出してきたら軽くならブレーキを踏んでも構わないくらいに思うほうだ。ところが世の中には減速しないどころか加速して入れさせない人間までいる。強い正義感の持ち主だ。ただその正義感が歪んでいて、かつ心が狭いだけだ。
わたしはけっこう公務員の友人がいて、一緒に酒を飲んだりすると、モンスター市民とかモンスターペアレントの実話を聞くことがある。モンスターは些細なことを大きく取り上げて騒ぎたてる傾向がある。世の中にはグレーゾーンというか、そんなかっちりと物事を決めないでもうまく回ってる事例というのはたくさんある。そこをモンスターは突くわけだ。勝ち誇ったように正論を振りかざすモンスター、相手する方は真っ向からやりあうのも馬鹿馬鹿しいので多少言うことを聞いてやるから、やはり自分が正しいとさらに快哉をあげる。
国土交通省の友人は土地の権利がらみで地主との交渉が多かったそうだ。中には役所に押しかけて役人を困らせるのを趣味とする人間がいるそうだ。局面的には多少の理屈もついてくるので応接は厄介らしい。かれらはしばしば自分が損してでも役所を困らせたり損させることで精神的な満足感を得る。この自分が損してでも相手を損させたいという感情も、これも概ね歪んだ正義感に根ざしていると思う。
わたしの同窓生がリストラにあって会社を去ることになった。その同窓生はよほど悔しかったのか、いろんな公的機関にねじ込んで会社の悪口をまくしたてらしい。それで今度は役所の応対が親切でないと怒り出した。それで弁護士にも相談した。弁護士は大した金にならないからやらない方がいいというアドバイス。その同窓生はリストラに関わった担当者の人生をめちゃくちゃにしてやりたいとかわたしに電話で言う。自分の人生がめちゃくちゃにされたからだそうだ。自分が正しいと彼はさかんに言うけど、これも彼には悪いが歪んだ正義感からくるものである。本当の正義は復讐などしない。
児童虐待も歪んだ正義感からくるものである。子育てのつもりだったと多くの虐待者は自分を正当化する。だが虐待の根底にあるのは、自分の不平不満とか社会に対する鬱憤である。世の中で成功している人間が虐待することは非常に少なく、たいていろくでもない人間が虐待をする。
世の中で生きているとちょっとした歪んだ正義感を振りかざす人間にでくわすことはある。そういう人間とやりあうのは一番バカバカしい。バカと議論すると、どっちもバカに見える、という言葉があってわたしが好きなフレーズだ。かと言って歪んだ正義感に屈服することはない。うまくはぐらかしたり、おだてたり、あるいは適当に距離を置いて避けることである。(そういう意味では児童虐待が一番可哀想だ)
わたしが滑稽に思っているのは、この世では煽り運転とかモンスターペアレントとか歪んだ正義感の持ち主が跋扈しているわりには、それは相手が弱そうな時だけで、相手が強いとからきし大人しくなることである。会社では宮仕えで上に逆らえもしないくせに、煽り運転をするような人間だ。この世は庶民を奴隷としてその上にあぐらをかく特権階級がいるが、この日本ではそれをけしからんと革命を起こすような元気は、国民にない。かわりに煽り運転や役所にねじ込んだり、はたまた児童虐待などして鬱憤を晴らすのが関の山というところなんだろう。そんなことしたって幸せにはなれっこない。逆に言うと幸せな人間はそんなことしないってことだろうね。
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