夢の実現と欲の関係
マロにも夢ってあるのかな?
私は私自身について不思議だなと思っていることがあります。わたしはかくありたしと強く願った目標に対して具体的にイメージをして鬼神の如く突き進む人間です。事実強く願ったことは尽く実現してきました。一方で自分の目標が実現した暁には、そこで満足してそれ以上は求めないという恬澹さが自身に同居しています。言うなら夢とか目標の実現前と実現後では掌を返したような行動様式を示すということです。それは会社でもあるいは投資でもプライベートな生活や趣味でも同じです。
こうやって書くと自分でもいいんじゃないのって思うのですけど、世の中を見渡すとわたしのような人間をあまり見かけません。多くの人は、お金を稼ぐほどに目標をあげてもっと稼ごうとします。暮らしにしても最初はスカイラインで喜んでいたのにメルセデスに乗りたいと思うようになります。また栄達や出世も自分が上に行くほどもっともっとと上を目指そうとします。新たに生まれる更なる上昇志向がその人の原動力になっているだと思います。
一方でそのような欲で突き進まない人たちも一定数います。自分なりに快適な人生を楽しく歩めれば良しという考えです。決して夢がないというわけではなく目指す方向と言うかベクトルが違うわけです。わたしはそういう人たちともはっきりと異なる存在です。わたしの今の生活はしがない庶民にとっては滅多なことで実現できるレベルではありません。わたしの生い立ちを考えれば、もし決然たる意思と行動力なしにのんびりとしていたら、わたしは決して今のようにはなっていないでしょう。
相場関係のブログもたくさん見ていますが同じような傾向を感じます。ある人は目標をしっかりと立ててその目標に向かって前に前にと進んでいきます。実際そういう方の方がまとまったお金を得るという目標を達成する可能性は高いような気がします。ところがその目標は達成して終わりません。もっと儲けようと新たな目標を設定するのです。逆に言うとこういうタイプは大怪我もある気がします。
一方で特に目標を強く意識することなく漠然と儲かると嬉しいなあという感じで相場に接している方々もたくさんいます。億り人になりたいと口では言うものイメージは曖昧でいつどうやってなどと具体的にはなっていません。そういう方々がまとまった儲けを得ることはたぶん難しいと思います。少なくともこの15年でわたしは見たことがありません。むしろ負ける人が多いです。ただその代わりと言ってはなんですが大怪我もしずらいタイプのような気がします。そこそこ儲かってうまく相場とつきあっているタイプはこっちが多い気がします。
人生というのは強く願い実現に邁進したことしか実現しないという経験則をわたしは持っています。絶対こうなりたいと強く願う、言うなら欲求、つまり欲です。夢の実現のためには自分の欲を強く育てないといけないのです。ただ強く育てた欲は成功につれて大きくなり止まることを知らずに逆に人を追い越していく。人が欲に引っ張るようになると、わたしはそう思います。
わたしの場合は欲は自分の才覚を超えることはありません。恵まれた才覚の持ち主であるとは認めますが欲は常に自分の才覚の範囲です。むしろ余裕を持って欲を下に置く。ただ欲を抑えるとかコントロールするいう感じはまったくありません。本当に自然にまるでゴールまで全力で走ってそれでゴール後にリラックスというノリでやっています。なぜわたしはそれが苦労も無理もなくできるのか? それが冒頭に書いたように自分自身で不思議なのです。自分とは?それがいろんなブログを見たりたまにコメントする動機になっています。(もちろん自分だけでなく人間模様全般というものに興味がありますが)
自分としてはただそうした方が格好いいかなと思って自分の美意識に忠実に生きています。それをするには障壁もありますが、あまり気になりません。自分らしく生きることより大切なことが世の中にそんなにあるとは思えないのです。わたしは人様にどう生きるべきかなんて此処で講釈する気もありません。ただ、わたしのように生きようって人はほとんどいないけどでもとってもいいものですよとお伝えしているのがこのブログです。まあわたしがそう思っているだけなんですけど。
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