中高年転落のシナリオ
2020年01月22日
ここはどこだっけ?
あんまりバシャバシャ撮ってメジャーなところは覚えているけど
覚えていないところも多い
つまりもともと起こりうるリスクに対する備えができていなかったということである。金さえあれば心配はないとも言えるけど、ただ十分金がある人間はそんなにいないわけで、であるなら起こりうるイベントに対してどれだけ周到に準備をして、できるならコスパの良い対策をあらかじめ用意しておくことである。自分自身が元気であるなら、葬式と介護はやり方次第でかなりコストを下げられる。介護施設とか病院など、自分の親のケースではどういう選択が望ましいか、元気なうちによく検討しておく。場当たり的にその場で勧められるところに入って結局合わないとか出ないといけないとかで入り直したりして余分にお金がかかるというケースはとても多い。
葬式とか供養も全く同じである。準備のあるなしでは百万円単位で違ってくる。別にケチケチするわけではない。むしろ豪華に安く上げるのである。病気とか死とか起こりもしない前に準備する。こういうのを縁起が悪いとか嫌う人もいるかもしれない。もちろん金さえあればどうでもいい話である。だがそこまで金がなくて転落しないで元気に暮らしたいなら準備するのが当たり前だ。相当の可能性で起こりうることなんだから。
自分自身の病気はどうであろうか? テレビのインタビューに出てくる下流老人とかに対して概ね不健康な生活をしているというイメージを感じるのはわたしだけだろうか? まず独身が多い。そんで運動もせずにタバコを吸ってコンビニ弁当で毎日を過ごして、それで病気になりましたって、もちろん病気は誰でもなりうる話だけど、やはり健康管理はそれなりにするべきだし、なんにせよ自分が病気になって困ると思うなら、毎日の生活を切り詰めてでも保険に手厚く入って、なるべく運動をして野菜を取って、タバコなんか止めるべきだ。そういうことしないで自分は運が悪いと思っている、そんなイメージが私にはある。(もちろん同情すべき例はいくらでもあるのはわかっている、ただ所謂避けられたんじゃないのと感じるケースが相当あるということ。)
なんにせよ、必然であろうが運が悪かろうがすべて自分に跳ね返ってくることである。それを含めてハッピーに生きるためには、やはり起こりうる最悪のケースを常に想定しておくことである。多分大丈夫だろうとリスクから目を避けるのは楽観的とは言わない。楽観的と言うのは起こった出来事を前向きに捉えることである。起こったことはグズグズ言っても何も変わらない。であれば良かったと思うことである。そして本当に良かったように活かすことである。それが本当の楽観的という意味だと私は思います。
投資も似たようなもんである。起こりうる最悪を想定していれば、起こったことにグチグチ言うことにならない。自分に都合の良いことが起こるかもと勝手に想像するから不都合なことが起きると驚き嘆く。暴騰だろうが暴落だろうが倒産だろうが破綻だろうが、なんでも起きるでしょ。わたしの現在の投資スタンスは(最初は違いましたけどね)、何か想定していないことが起きたら儲かるようにすると言うことである。最悪のケースは何も起きなくて全く儲からない。でその全く儲からないというケースは十分想定して無くても良いという心構えである。つまりもう5−6年最悪のケースが続いているってことだけど、それでこんなに機嫌よく毎日を過ごしておりますのでこれでよろしいということです。
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