子どもの金をむしり取ろうとする親
2020年01月12日
朝からマイカーで渋谷に向かった。20年通っている西野流呼吸法の稽古である。車で行くとだいたい25キロ、往復しても軽油で3リッターだから350円。一番安く渋谷に行ける。日曜日は駐車料金がかからない。道も空いている。一時間で到着。行きがてらFM放送で山本有三の「路傍の石」について番組が組まれていた。古典とも言える作家がFM放送で語られるのかと感心した。たぶんわたしが読んだのは50年くらい前の話である。筋書きはほとんど覚えていなかったがこのラジオで思い出した。路傍の石は作者山本有三の自叙伝的な色彩が濃い作品だとわたしは思う。路傍の石は極貧から懸命にのし上がろうともがく若者を姿を描いた小説である。貧乏な家で、主人公の父親が子どもである主人公のなけなしの金を奪い取ってしまう下りがあって、それでわたしも思い出した。わたしの父親と同じだったと。
わたしの父親はわたしが親戚からもらうお年玉を毎年巻き上げていた。父親の理屈はこうだ。自分が普段から付き合いをしているからお前がお年玉を貰えるのであって、言うならこれはお前の金ではない。俺の金だと。そういうことで1月にもらったお年玉はは4月の新学期で制服を買ったり学校で必要なものを買う為に充てられた。わたしの父親は生活の中で厳しいルールをわたしに課した。例えば5時には帰宅しろとか。別に理由はない。だが友達は夏なら7時くらいまで外で遊んでいるから5時に帰るのは難しい。遅れることもある。そうすると親父は罰として小遣いを止める。ある時もう小遣いが止まっているからと、わたしが大切に貯めていた切手の収集ブックを取り上げられた。それこそわたしがなけなしの小遣いで買った切手である。わたしはそれでもそのうち返してくれると思ったけど帰ってこなかった。親父はわたしが切手を返してと言うと最初はうやむやにして答えず、わたしがしつこく聞くと、焼いてしまったからもうない、と答えた。ケチでせこい父親が金目のものを焼くわけがない。どこぞで換金してしまったに違いない。父親は定職を持たずに茂子さんのヒモだったからお金が欲しくてしかたなかったのであろう。
父親はわたしが勉強ができるものだから、それをよく友人知人に自慢していた。わたしが県下でも有数の高校の単願で合格したことも自慢だった。単願が絶対落ちないというお墨付きをもらったからであった。だが親父は私が勉強のために塾に行きたいとか言うと決して許してくれなかった。参考書を買うの小遣いからであった。自慢はするけど応援する気はないのである。親父の口癖は、「自分の力でなんとかしろ」であった。茂子さんのヒモであった父親の言葉として耳を疑ったが、今にして思えばヒモもヒモなりに真剣だったということか。ここまで読んでそんなおどろくことはない。児童養護施設で勤務して時期でも、就職して自立した子どもにたかる親といおうのはけっこういて、どうやって親から引き離すかは児童養護の懸案であった。貧してかつ理性なきはなんでもするのである。
さて路傍の石の主人公とわたしは似た環境で育ったが、このような境遇で育つとどんな人間になるのであろうか? 稀代の文芸評論家、宮本百合子が山本有三について記した文章がある。これを読んで、わたしはまさにわたし自身のことを書かれている気がした。その一部を引用してこの記事を終わろうと思う。
引用
山本有三氏は、斯様にして獲得された今日の彼としての成功に至る迄の人生の経験から、次第に一つのはっきりとした彼の芸術の脊髄的テーマとでも云うべきものを掴んで来ているように見える。それは、予備条件として在来の社会機構から生じた各個人間の極く平俗な生存競争の必然を認めつつ、だが、窮極のところ、人生の意義というものは、人間対人間の目前の勝敗にあるのではない、「持って生れたものを誤らないように進めてゆく、それが修業」であり、そのためになすべきことを
引用終わり
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