正解とは何か?

2019年12月10日
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人生の考え方
高校の時の授業中のことだけど今でも覚えている。M男君が数学の授業中に居眠りしていた。居眠りって言ってもM男君は凄かった。まっすぐ姿勢良く座って遠くから見ると起きているように見えるんだけど、目がこれ以上ないってくらい座っていてそんで細くなっている。うん?て思う。寝てんだか寝てないんだかよくわからない。

先生もそう思ったか、オイM男、この問題の答えを言ってみろと、って指したの。それは数字を出す問題でわたしも答えはわからなかったんだけど、そういう時は適当にゼロとか−1とか言うって手があって、それでM男もなんか適当な答え言うのかなって思って見ていたら、そのM男がすっと姿勢良く立ち上がってね、それで先生に向かって「正しい」てゆっくり答えたんだよね。先生がはーて顔して、その後みんな吹き出しちゃった。M男君はいまでもあのこと覚えてるかな?

わたしについて今でも覚えているのは国語の授業で先生がテストの回答を説明してたんだけど、ある文節の解釈についてどれが正しいかって問題だったと記憶するけど、わたしはその答えに納得がいかなかったってことがあった。それは間違いとまで言わないけど、作者がはもっと違うことと言うか深いことを言っているってわたしは思ったわけ。それで先生に向かって手を上げて質問というか自分の意見を言ったんだけど、先生はおハルトモおもしろいこと言っているなって聞いてくれるんだけど、そばにいる優等生たちは、なにをバカな質問をハルトモはしてんだって目でみるわけ。

それで後から他の生徒が言うのね。そんな正解を出せばいいんだから良さそうなの選べばそれでいいだろう。意地はって何を言っても一点にもならないよって。進学校なんで点数を取りたいって人間はけっこういて、それは誰かが用意した正解に向かって、教わった手法で効率よく答えを導き出して、それを次々とこなしていくのが、優秀な人間だとそういうわけだ。言っている人間は本音だろうしそれで正しいと思っていたんだろう。事実そういう人間が私より偏差値に高い大学に進学していったから、やはり自分は正しいと思うよね。

それで良い大学を出て良い職業でも得て、ずっと一生懸命いろいろ頑張って働いて、それで60歳にもなって、みなさん、それほど大した暮らしができないってのはどういうわけなんだろうって、ことです。ろくに勉強しなかったわたしの方が豊かでお気楽悠々生活。

どこかで何を間違えたかって言うと、多くの人は仕事上のなにか運不運とか人との絡みとか、あそこで役員への道がとざされちゃったなとか思うみたいだけど、実は子供の頃からずっと間違えていたんじゃないか?て考える人はまあほぼいない。もっともこの歳になって気付いても遅いんだけど。

わたしに言わせればなるべくしてなったんじゃないかしらって思います。でもまあそれなりにやっていけてるんでそれで良いといえば良いんでしょうけどね。わたしみたいなはぐれ者の真似なんかしてドツボにハマったら最悪だ。

そもそも用意された正解を追い求めるって方向がわたしはどこか違和感がありました。むしろ自分の進む道をなんとしても正解にしてみせるという気概が欲しい。自分を貫いてそれで損してもそれじゃあつまらない。自分の納得を追いかつ充分儲ける。一見両立しなさそうでそれを両立させよってことで、それでいろいろ知恵を絞るわけです。

せっかくみなさん頭が良いんだから、人が用意した正解を導き出して胸を張るんじゃなくて、誰も知らない正解を導き出せばそれこそ人生は面白いって、わたしはそう考える。なんでそういう方向に自分の大切なおつむを使わないんだろうって思います。


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Comments 2

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ばばちゃん  

凄く共感した言葉

いつも楽しく拝見しています。
私は、まだブログを始めたばかりなので、最近からの読者ですが。
「むしろ自分の進む道をなんとしても正解にしてみせるという気概が欲しい。自分を貫いてそれで損してもそれじゃあつまらない。自分の納得を追いかつ充分儲ける。」
大賛成、同感です。

2019/12/10 (Tue) 14:50
川口晴朋(ハルトモ)

ハルトモ  

To ばばちゃんさん

はじめして、ようこそお越しいただきました。
賛同ありがとうございます。ただできればそれが良いというだけで、実際成し遂げたって人はわたしは自分以外知らないんです。

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