友達100人いなくても
2019年12月06日
一年生になったら友達100人できるかな、って歌覚えてますか? そんで歌詞が言うんです、100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりをって、でも友達100人だから全部で101人ですよね。一人除け者にしちゃいけませんよね。
会社なんかで、誰かが退職するとか聞くと、まあ八方美人の人間に多いんだけど、いやあ寂しくなるなあ、また会おうよ、とか一杯やろうよとか、口では言うくせに、それっきりって人けっこういますよ。別に会社辞めたって友達だと思うなら個人的に連絡も取り合って付き合えばいいじゃない、なんてわたしは思いますけどね。別に淋しくないでしょ、死ぬわけじゃないんだから。結局付き合う気なんかさらさらないし元々友達でもなんでもなかったってことでしょう。
それをもっと極端にしたのがネット社会で、そもそもバーチャルで相手のことなんか知りもしないのに妙に友情感じて親密なやりとりしてもなんかの拍子に呆気なく終わり。本当に友達なら連絡先交換して個別に付き合えばいいのにね。なんなら会ったらどうなの? でもそんなことする気はさらさらないわけでしょ。そういう関係だから簡単に他人の悪口も言えるのかなと。
気の合う友達なんてそんなたくさんできるわけじゃないと思うけど、人間なんて長く生きていればそれなりに気のあう友人はできますよね。中学高校大学職場、それぞれのフェーズでわたしは一人二人、多いと数人の友人がいます。別に同時に10人20人と仲良くする必要もないと思います。会社を辞めたら付き合わなくなる知り合い十人より会社を辞めてもつきあえる一人の友達の方が貴重じゃないかと、わたしはそう思いますけどね。
1番の問題は、今いる環境、つまり職場とかで誰とでも仲良くしようとして、自分に無理をすることだと思います。それで結局だれとも本当の友達になれない。友達なんて好き嫌いなんだから、飾ってもしょうがないと思います。だれかが嫌われる勇気って本を書いてそんでけっこう売れてるらしい。わたしは人生のノウハウ本読まないけど、読んだ友人が言うにはわたしと似たようなことを言ってるそうです。でもね勇気じゃないよねって気がします。もっと呑気に悠然と生きたいですよね、人生は。
ちなみに冒頭の写真だけど、僕の名前はズッキーニという映画。スイスの映画だけど児童養護施設に預けられた子どもたちの友情の話。わたしも児童養護施設にいたんでキュンとする面はあったんだけど、でもね。現実的な話としては、児童養護施設では長く付き合える友達はできにくい。事情がそれぞれ違いすぎるってのと、それ以外いろいろ理由がある。まあ長くなるからやめとく。
わたしは小学生の時に児童養護施設にいたけど中学で隣の市にある家に入ったから同級生と付き合いは全くなくなった。聞いたのは同級生数人わたし以外はみんな中卒で働いたってこと。でもね。同じ寮にいた同級生の名前は覚えているよ。滝◯福◯って言うの。このブログ読んでたらコメント下さい。わかるでしょ。静岡の児童養護施設だから。まあありえんわな。
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