競輪場で車券拾いをする浮浪者から得た学び

2019年12月04日
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株式投資
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最初に断っておく。この話は競輪の話でもあるが株式投資にとつながっていく話である。ショートショート的フィクションとして書き進めたい。

わたしが競輪場に入り浸りだした時は、オッズは手書きだったんです。テレビ画面がオッズの紙の表を映していて、時々画面に手が出てきて表を差し替える。差し代わるたんびにおーとか声が出てね。それで車券を買うって時はどうするかと言うと、車券売り場は買う車券ごとに別れている。つまり3−2、3−5、3−6と買おうと思ったら、それぞれの車券の窓口に3回行って金と車券を交換する。車券ごとちょうど拳が入るくらいの穴が空いてて金を握りしめて手を突っ込むと、むこうでおばさんがその分の車券を握らせてくれる。手を引っ込めると車券が自分の握りこぶしに入ってるわけ。もちろんお釣りもくれた。だからか昔は車券売り場のことを穴場と呼んでいた。

締め切り直前になると競輪ファンは忙しく穴場を動き回る。もちろん人が多いから穴は一個じゃなくてたくさんずらーと並んでいる。それで締め切り時間になるとパタンと上から板を下ろしてもう手が入らなくなる。締め切り間際になるともう前の人間のよこに手を置いてね、とにかく早く入れようて待ち構えていたもんだ。

それでその車券ってのは薄くて軽くてそれでなにを買ったか打ち抜きで表示されている。ちょっと見づらい。もちろんちゃんと見ればわかる。それで当時は特券と言って千円単位は青い券で百円単位は白い券だった。それでレースが終わると、皆一斉に外れ車券を投げるんだけど、車券てのは軽いからこれがまるでさくらの花びらが舞うかのようにまさに車券花吹雪が舞ってそれはそれは綺麗だった。

そんな時の話。わたしはセミプロ車券師なんて気取っていて仕事そっちのけで競輪場通い。それでも営業成績はよかったんでまあ商売の才能はあったんだろうね。でも安月給だし競輪のほうが実入りが多いから競輪中心の生活だ。競輪場に通っていると同じ人間を何度か見ることになるんだけど、実際浮浪者かどうかはわからないけどかなり身なりが汚いおっさんがいつもいて、そんでその外れたと舞った車券を漁っている。間違えて投げてしまう人間もたまにいるので探しているんだろうとは思ったけど、実際間違えて投げる人間なんてそんないないし、だいたい山のような外れ車券からどうやって見つけるんだ?、見つかりっこないだろうって思っていた。

でもね、そいつは見るとだいたい漁っているんだよね。いつもやっているってことは見つかることもあるってことかな? と、そんで直接聞いたことがある。そんなことやってあたり車券見つかるかい? て。そしたらその汚いおっさんが、座った目つきで無表情に、「たまにな」、とボソッと答えるんだよね。でも見つかりっこないなてわたしは思っていた。たぶん何年も前に一度偶然拾ったことがあって、それでまたそんなことないかなって漁っているだけだろうと思った。それは間違えて投げた車券あるかもしれないけど外れ車券の山は尋常な量じゃないし、それに見辛いからね。

ところがある日興味深い光景を目にした。その浮浪者を車券売り場で見かけたのである。車券を拾うならスタンドに行ったほうがいいのに、その浮浪者は車券売り場から少し離れた物陰から、じっと車券を買う人間を眺めている。でもその目はキョロキョロと忙しく動いて、明らかにわたしと話をした時の座った目つきじゃない。それで投票締め切りの時間になったら、ファンの動きに乗って自分もスタンドに行く。わたしはその浮浪者のおっさんの行動に興味を持った。何をあんなに一生懸命車券売り場を見ていたんだろう? 

レースが始まる。わたしは玄人の車券師をうそぶいていたし、全レース買うようなアホじゃない。1日競輪場にいて勝負レースはせいぜい1つか2つ、見(ケン)と言って見ているだけのレースが多い。もちろんぼやっと見ているんじゃなくて次の参考にするんだけど、ケンと言うこともあってそのおっさんに注目していた。そしたらその浮浪者のおっさんも、レースを真剣に見る様子がなくて、なんか誰かを見ているんだよね。それでレースが終わったらどうなったか?

何も起きなかった。その浮浪者はまた無表情な顔で歩き出して、それでまた車券売り場の物陰に戻った。それでわたしは考えた。あの浮浪者はいったい何を見ていたんだろう? て。 しばらく考えてわたしは手を打った。わかった! 当時の車券売り場は上に書いたように買い目の窓口に手を突っ込んで車券を買うから、人間を追って見ていれば、誰が何を買ったかわかる仕組みだった。ここからはわたしの想像なんだけど(たぶん当たっている)、その浮浪者はいろんな競輪ファンを目で追いながら、不自然な車券の購入を探していたんだろうと思う。例えば3−1、3−2、3−4、3−5、と買って次に3−6の買目の窓口に金を入れるかと思ったら、間違えてその次の4−1の窓口に金をいれちゃうとかこれはあり得ることで、実際わたしだって買い間違えたこともある。

でも本人は3から流しているつもりで車券を握りしめてレースを見る。レースが終わってもしも4−1がきたら? そいつは車券を空に投げるよね? 投げなくても捨てるかゴミ箱か。自分じゃ4−1持っているつもりはないんだから。たぶんその浮浪者はそれを狙っていたんだとわたしは確信した。それ以外に行動を説明する理由がない。まあいろんなパターンはあるんだろうけど、とにかく買い間違いポイのを探す。それでそういう人間を見つけたらスタンドに行ってそれで待つ。

もちろん滅多なことでは起きない。買い間違えじゃない可能性も高い。本当にそう買う人間もいる。仮に間違えたってそれで買い間違えたものがくる可能性はとても低い。それに投げないかもしれない。またわたしなんて慎重な人間で買ったあとに必ず確認していた。でも考えてみればそれさえその浮浪者は見ているってことだったんだと思う。たぶん滅多ことではおきないけど、でも1ヶ月か2ヶ月に一度くらい。いやひょっとして数ヶ月に一度か? それはわからないけどそうやってあたり車券をゲットしていたのだと思う。そうでなきゃそんな真剣に仕事をするようにやるわけがない。

特券でそこそこのあたりをゲットしたらたぶん浮浪者にとってなかなか拝めない大金を手にすることになる。ふだんはゴミ拾いとか缶拾いでもやって食いしのぐとかするんだろうけど、そうやって来るべき僥倖を待つ。ラッキーとは言えない。まさしく仕事である。これこそノーリスクで車券で飯を食う人間ということではないか?

わたしはその浮浪者に聞いて答えを確かようとはしなかった。聞いたって答えるわけがない。競輪場には浮浪者ぽいのはたくさんいて、(入場券は50円だけどそれさえ拾って入ってくる)、同じことをしている浮浪者はわたしは目にしなかった。もしも他の浮浪者にその手口が広く知られたら?それこそ車券売り場に浮浪者がずらっと並んで競輪ファンを観察するようになって、激しい競争になる可能性は高かっただろう。見ず知らずのわたしに自分の虎の子の秘訣など言うわけがない。

その浮浪者はバカではなかったということになる。それだけの知恵があれば別の仕事でなんとかなりそうなものだけど、人生いろいろである。そうなった理由もなんかあるのだろう。そしてわたしも持ち前の観察力でその浮浪者から学びを得ることになった。

まず勝負の世界で儲ける究極の方法はリスクを取らないことである。賭けなければ負けようがない。賭けなくても勝てるならそれが不敗神話の始まりである。そして誰もやらないようなことをするからこそ、その不敗は続く。人と違うことをするどころか、人が想像さえできないようなことをするからこその不敗である。株の場合には株を買わずに(売らず)に儲けるということはわたしは思いつけなかったけど、リスクを取らないか、あるいは極限にまで低めることは考えた。絶対潰れないという会社があってそれを私は知っているけど潰れると皆から思われている会社が株価を大きく下げたなら、その時が勝負である。わたしがこのブログで2005年ボッシュ(6041)について書いた記事である。その他わたしの投資手法については、車券拾いよろしく漁ってくれればいろいろと出てくる。

株式市場でわたしがしたことは、競輪場の浮浪者のおっさんの行動様式そのままである。その浮浪者は普段はゴミ拾いでもしながら食いしのぎそして競輪場にいる人間をよく観察して、そして人が待てないようなチャンスをじっと待った。わたしも普段は外資系大手のビジネスマンとして日銭を稼ぎながら、株式市場をよく観察して、そしてじっとチャンスを待った。同じである。わたしのほうがはるかにスマートでスケールが大きいのはわたしの器量である。それ以上に、そうやって自分でよく観察して学びを得るということがわたしの才覚だとも言える。

最後にわたしが得た大事な気づきがもうひとつある。その穴に手を突っ込む車券の購入方法は、ほどなく廃止になって機械で印字した車券が売られるようになった。外れ車券花吹雪も美しく舞わない、競輪ファンをずっと後ろから見ていても誰が何を買ったかわからなくなってしまった。そしてその浮浪者の姿を競輪場では少なくともわたしが目することはなくなった。つまり環境が変わりその手は使えなくなったから消えた。これは株式市場も似た側面がある。勝てる手があろうともいつまでそれがずっと続くなんの保証もないということを肝に銘じねばならない。いやむしろ続かないことを前提にすべきである。その手が通用しなくなったなら潔く身を引くかまたは別のことを考えねばならない。わたしはその点も浮浪者から学んでいる。

その浮浪者はもう生きていないと思う。もう30数年前の話である。そしてたぶんろくな死に方もしてないだろう。ひょっとして無縁仏で葬式もしてもらえなかったかもしれない。だが天国だか地獄だか知らないけど、あの世で、俺はあのハルトモに学びを与えた男だったんだぞ、とこれは大いに胸を張って自慢をしてよいと思う。ずいぶんと遅ればせながら、その浮浪者への感謝状とすべくこの記事を書いた。合掌。
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としさん  

競輪のおもいで

私はけいおうかく、高松川崎岸和田向日町奈良で遊びました。今は亡き妻と見に行き、妻が後ろばかり見て走ることを不思議がっていました。車券拾い見ています。予想屋が沢山いて確実な仕事とおもいました。株評論家と共通します。
笑。株も競輪も自分のみの読みで実現できる自己承認の一部です。昔を思いだしました。

2020/11/26 (Thu) 02:04
川口晴朋(ハルトモ)

ハルトモ  

Re: 競輪のおもいで

書かれている競輪場は全部何度も行ってますが、奈良が好きでした。ゴールが近くてよく見えるんです。

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