成功体験があだに
2019年11月20日
マロは安泰の我が家
その三匹のうち一匹はもう5年くらい前の冠水を乗り切った年配の猫で、あとの二匹は冠水の経験はない若い猫。年配の猫は数年前の冠水時にはなんと木に登って助かったそうである。木なら葉っぱが雨もしのいでくれる。きっと5年前のことを覚えていてまた木に登ったのではないかとのこと。後の二匹は木に登る知恵はないので、ひたすら遠くの堤防の上をたぶん目指した。だが今回の台風は以前をはるかに超える規模で、年配の猫が登った木はねこそぎ倒された。可哀想だけど一緒に流されてたぶん助からなかったか?成功体験がある年配の猫が流されて、経験のない若い猫は助かった。ということなんだそうだ。まあ二匹いたのもスタッフにすればよかったというところのようだ。(助かってどこか遠くで生きていることを祈る)
HONDAの創業者、本田宗一郎氏は激しい気性のゆえに部下との衝突も激しかった。だが彼はその軋轢の中でついに気づく、自分の成功体験はしょせん過去のものであると。過去は決して未来を担保しないと。彼は部下に会社の将来を託し一線を退く決意をする。天才的事業家の本田宗一郎は自らの成功体験の危うさに気づいたのである。彼は木に登る猫ではなかった。
わたしは幼少期から人より本という環境にあったおかげか、読んだ文章からな何かを学ぶ能力を身につけた気がする。逆に人から教わろうとか思わない。多くの人はいくら読んでも聞いても自分のことでないとピンと来ずに自分が酷い目にあって初めて心根から学びを得る。だがその時はすでに手遅れとか、いまや通用しないことも多いのである。
成功体験には良い点もたくさんあるけどもろ刃の剣という側面もある。相場では成功を積むほど怪我する時には大きな怪我になるかもしれない。わたしは自分の成功体験をそれほどあてにしない人間である。ブログで自慢話をいくら書いたところで、わたしの投資活動は調子に乗りもしなければ高望みもない。謙虚というのは実力までは平然と事にあたり実力以上はすっと退く、誰かどこぞの相手に対してするものではなく自分自身に対してするものかと思っている。
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