寄付って?

2019年10月21日
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人生の考え方
私の場合、災害の報道に接しても義援金を送ろうとかいう気分にまずならないし、実際滅多なことでは送金しない。じゃあ何もしないのかと言うと、これは自分で自分がやるべきであるとか、自分の役割であると感じた場合にそれなりの行動をとっているようである。ようであるというのはそう決めたわけでなく振り返るとそうなっているということである。

 フォスタープランと言って途上国の子どもを支援するプログラムがある。毎月決まった金額を送金する。だいたい途上国の田舎での家族一ヶ月分くらいの生活費に相当すると始めた時に聞いた記憶はあるが今はどんなものだかわからない。もっともその特定の家族に全部使われるわけでなく地域活動を含めた支援である。送金する方はフォスターペアレント、送金される方はフォスターチャイルドと言う。擬似的な里親制度である。 

毎月の送金、これをおよそ30年ほど続けている。たぶんこれから先も相当期間続けるんだと思う。なぜこれをやっているのかと言うと、自分自身にフォスターペアレントさんがいたからである。わたしのFPはイギリス人であった。たまに手紙を書いた記憶がある。日本語で書くとボランティアが翻訳してくれる。向こうからもたまに来たと思う。当時はなんとも思わなかったけど、なんか残ったんだろうか、自分がある程度生活が安定するようになった時に、今度は自分がやらなければいけないことだと思ってそれで始めた。そういう因果と言うか巡り合わせを感じた。義務感とか使命感とは違うと思う。自分がやるべきことであるという自発的感覚である。

 会社を54歳で 自分で退職してそれで児童養護施設で働き出した。その施設では進学資金の積み立て寄付があって、そこに寄付されると子どもの進学費用にしか使われない。そこへの入金もしたし、また子供への直接のプレゼント(電子辞書とかパソコンとかネット契約とか)も随分したけど、やはりこれは自分のやるべきことだという意識があった。思えば児童養護施設で働いたことさえ、巡り合わせであり自分がやるべきことだと自分で感じたからだと思う。 

誰かを助けたいとか援助したいとかいう気持ちはたぶんないと思う。ましてや感謝されて喜ぶ気持ちもないし、貢献をしているんだという気持ちもない。自分が勝手に好きでやっていることだと思っている。災害でもあるいは24時間テレビみたいなものを見ても自分の役割だと感じることはないのでそれで寄付はまずしない。(実はたまにするが気分である。)

 正直言って、自分で寄付して満足する感覚は好きじゃない。寄付して世の中に貢献したような気分もなんか嫌である。人の役に立ちたいと思うのも感覚的に相容れない。別に理屈をいう気もないし人を否定する気もない。上流夫人のお遊びのような慈善活動だってそれで助かる人もいるわけだから。ただ好まないということかな。たぶん金を送って終わりという感覚も好きじゃないんだろうと思う。フォスタープランだって長く続けてコミュニケーションもあってこその支援活動だし。 

まあわたしはこうやって考えて行動しているだけという話で他所様は知らないし興味もない。自分はこうだというお話です。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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