明智光秀ゆかりの地と旧知を訪ねる旅2

2019年10月15日
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旅を楽しむコツ
福知山
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丹波を平定した明智光秀は福知山城を築く。関西以外の方だと福知山を聞いてパッとどこにあるかわからないのではないだろうか? 京都から北へ100キロ弱、日本海まで30キロほどの山々に囲まれた盆地にある。その山々の名前を見ると福知山はない。福知山はどこにあるのか? と地元の人に聞いたらわからないという返事。何人かめに聞いた人はたぶん福知山城がある小山を福知山というのだろうということであった。光秀は福知山に城を築いて領国経営の端緒は開いたがほとんど居城はしなかったそうだ。この城を築いて3年後に本能寺の変である。光秀の短い最盛期だった。この城は再建されたものである。

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御霊神社は明智光秀を合祀している神社で歴史は古い
いつから光秀を祀っているのか?
興味があって聞きたかった宮司が不在
残っている人は知らなかった
カミさんが集めている朱印を買い求めて退散

亀岡
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亀岡は京都と福知山の間にある
亀岡にある亀山城址
なんで亀岡に亀山城
明治2年に丹波亀山は伊勢亀山に気をつかって亀岡に改名したんだって
明智光秀はこの城を拠点に上の福知山がある丹波の平定を行なった
石垣の一部だけが残っているが
いつのものか定かではないようだ
たぶん光秀より後年のものだろう
だが亀山城がここにあって光秀はここで指揮をしたのは間違いないようだ

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光秀が厚く保護したと言う
谷性寺には光秀の首塚がある
山崎から坂本に落ちのびようとした光秀は
山科の竹やぶで落ち武者狩の農民に刺されて死んだことになっている
わたしはそれは敗者を叩く作り話だと思っているけど
いずれにせよ自害か殺された光秀の首をこの寺には運び、葬ったという言い伝えである

亀岡に老相場師が住んでいる
30年ぶりにご挨拶に伺った
87歳で体は言うことを聞かないが頭は明晰であった
囲碁は六段から七段に昇段していた
八段がアマチュアが取れる最高の段位だそうだが
実績はあっても試験がちゃんとあって八段の試験にはなかなか通らないと言っておられた

いわゆる豪邸でビルみたいな作りで一階は店舗に貸していた
京都駅近くの4階建てのビルも人に貸している
相場は後年難しいものがあったが
塾経営と植毛技術のコンサルタントで財務的には安定していたようだ
相場も張るが相場だけではない
これもわたしが相場師から学んだことであった
相場師はわたしは大したものだと褒めてくれた
今は株の取引はしていないそうで
長年保有している株がいくつかあって配当をもらっていると言っておられた

その相場師がわたしとの話の中で言われた
金が欲しくて相場を張るんだから
株より金が良いに決まっている
金を持っている人間が結局強い

奥さんもご一緒して昼食をとったけど
奥さんが言う
わたしが挨拶に来てくれて成功している様子で嬉しいけど
でも主人が知っていたよく株をやる人たちは
みんな長い間におかしくなってしまい
どこかに消えてしまいましたって
そう言う世界である

老相場師へのご挨拶は
小一時間で終えるつもりが3時間ほどかかった
昼から生ビールを飲んでおられた、元気である
ずいぶんとご馳走になってしまった

亀岡を終えてから大阪に向かった
もう少し旅は続く











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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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