京都の老相場師

2019年10月04日
0
0
株式投資
201910040808021c8.jpeg

たまの旅ならあいにくの雨とか言うのだろうけど、居を構えれば雨もまた良しとなる。ゆったりと過ごせる。お気に入りのCAFEも静かに時が流れる。部屋から見るお馴染みの景色も少し色づいてきている。これから紅葉そして雪景色とまた季節の移り変わりを楽しめる。一年住んでみて夏も悪くはないのだけど、秋から冬の方が静かでリゾートらしくていい感じ。夏は観光地である。

夏だけの早朝ゴルフが終了して、わたしのアルバイトも午後に移った。早起きしなくて良い。それはどうでもいいのだけど、早く陽が沈むので1日3時間くらいの勤務となる。それが週に2日。こんな雨だとお客がいなくて行って1時間で帰ってしまうこともある。いつでも帰っていいよとか、あるいは来なくていいよ言える調整弁としてわたしの存在は貴重みたいだ。

代わりにゴルフは一番やっている。臨機応変神出鬼没。流れが良いところを見つけてさっと回る。昨日は勤務前に軽くハーフ。5オーバーで41であった。6番で乗っていると思ってパターしか持たずに行ったら深めのラフにあって、そんでダボにした。あとはパー5個ボギー3個。

京都行きはだいぶ賑やかな予定となった。最後に大阪の相場師にも会うことにした。箱根の高級旅館強羅花壇以来である。2泊3日で五人と会う。こっちも楽しみだけど、みんな良くきたなと歓迎してくれる。

京都の老相場師とは会うのは最後になろうかと思う。何度も書いているけど、京大卒、京大院卒、科学博士、繊維技術の専門家であり大企業に長年勤務、退職して化学コンサルタントと塾経営も行い、そして相場ではあの電話取引の馬鹿高い手数料と決して親身とは言えない証券営業マンを相手に20年以上毎年800万円から1000万円を稼ぎ出した。(多い年は数千万円)。囲碁は六段で一時は京都のアマチュアと名前が知られていた。わたしにあったときに20年以上ということは六十年以上前からってこと。今なら10億以上にはなったのかしら?もっとかな? 今とは難易度が違いすぎる。

この人がこれだけやってもまだ他に商売するとわたしがいた会社の代理店になって、それでわたしが担当でしばらく一緒に仕事をした。それでこの方から相場の話を聞いて刺激を受けた。オフィスに行くとひっきりなしに証券会社からの電話がなっていた。でも当時は40年近く前だが、携帯電話もないので外に出れば穏やかなものであった。それでいろんな話をする中でわたしも自分としてのあり方を考えるようになった。

あのネットもない時代に本物と巡り会えた。わたしには僥倖であった。今はネットで簡単にやれ専業だとか上級者の勝ち組だとか、簡単にアクセスできるが玉石混淆以下である。ほとんど本物はいないだろう。たまに探すけどまず見つからない。15年もブログをやっていて、ああこの人は本物だなと感じた人は数人だもんね。そういう方とは長く付き合いが続いたり直接お会いしたりしている。そもそもど素人では本物が見分けられないわけで、わたしはドではなかったようだ。

京都の相場師は電話ではかなり老いた印象だった。もう90近いのかな?でも言葉はしっかりとしていたので奥さんと一緒に蕎麦でも食べようということになった。わたしの近況をご報告して今のわたしがある感謝の念を伝えたい。

さてその京都の相場師はわたしが転職して数年後に出張で京都に行った時にもお会いしている。ちょうどバブル崩壊の時期、それで相場師は億単位の損失をわたしに淡々と語った。30年近く勝ち続けて、、あのひとでも痛手を被るのか! 恐ろしい世界である。これはやるにしても生半可ではできない、そして勝ち切って逃げることだ、と強く感じた。後年わたしはわたしが学んだ教訓通りにした。せっかく良い教訓を得てもその通りにできない人が多い。それでは学んだ意味はない。ちなみのその相場師は結局塾経営でなんとか凌ぎ切った。いろんな収入を確保するのも彼から学んだことである。その相場師は相場の細かなことはについては一度も話さなかった。多分やるなら自分流におやりなさいと思っていたのかなと想像する。

京都行きは楽しみだけど、その前にカミさんとの夫婦旅行がある。釜山から帰ったばかりだけど紅葉を求めてプチ登山である。ずっと旅をしている気分だ。生きるということは旅って気になるね。


関連記事
ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
自己紹介へ

Comments 0

There are no comments yet.

コメント投稿