街道を行く@栃木ー1
2019年09月28日
那須と矢板を結ぶ県道30号線は国道4号線と並行して走る、いわば抜け道で矢板から那須までの途中関谷北で左折すれば塩原を抜けて会津へ通じる。交通量は多い。トラックも走る。わたしはこの道を毎週往復する生活のわけだが、ずっと前から気になっていた一画がある。明らかに他のエリアと趣を異とする。農家で大きな家は当たり前だが異常に門構えが立派なのである。那須からの帰りに、ふと思い立って散歩がてら住人にインタビューを試みた。
最初に聞いたおばあちゃん、家の前の畑で野良仕事をしていた。なんでこんな大きな門を立てるんですかと聞くと、嫁なんで知らない、という答え。でも何百年と古いみたいですよとも言う。そういうもんかもしれないけど、その嫁さんというかおばあちゃんは嫁いでたぶん50年60年、なんの興味もなく生きてきたことが逆に新鮮に感じる。わたしはなんの縁もない通りがかりなのに知りたいと思う。
隣の家にいくと80代後半と思えるおじいちゃんが出てきた。この人は高校の元校長先生だと、それは後から知ることになる。その方が言うには、うちは300年くらいだけど、このあたりではだいぶ新しいほうだのこと。建物のような立派な門は、長屋門と言うことを教えてくれた。さいたまに来たらそんじょそこらの豪邸よりも大きい門で人が住むわけでなく物置になっているそうだ。元は農家ということは間違いないようだが、本家とか庄屋とかの血筋ではない普通の農家だと言う。
どうしてこんな立派な門なんですか?
いや、これは元は古いのよ、柱は建てた当時のもの。
先祖代々直しながら使っているんで、壊すのも忍びないと親父がリフォームしたの。
でも代わりに家がボロでねえ
確かに門から数十メートル奥にある家の方がボロでみすぼらしい。たぶん先代は息子に立て直すことを期待したのではあるまいか? そのガッツ、そのおじいちゃんはなかったということだと想像した。
それにしても、どうしてこの界隈だけこんな立派かという解答はなにもない。
さらに歩いて回った。
さほど大きくもない家からおじいちゃんが出てきて、たぶん歳は90は超えている。年齢聞けばよかったが聞かなかった。その人に同じ質問をぶつけてみたら、なんと気持ち良いウンチクが聞けた。
この界隈は川崎反町というなんと奈良時代から続く古い集落なんだそうだ。名前がなんだかで、川崎反町で検索すると、神奈川の川崎、と反町しか出て来ない。だが歴史ある集落だ。その集落は数百年ひっそりと続いていたけど元禄時代に塩原の五十里湖(イカリコ)が氾濫して真岡まで大洪水になった。それでそれまでの会津西街道が使えなくなって、代わりに会津中街道という街道を作った。那須の板室温泉を通る街道だったそうだ。その街道のメインの宿場町として川崎反町は栄えたそうである。その街道で会津から切り出した木材を運び、鬼怒川で船に乗せて利根川を通って江戸まで運んでいたそうだ。なるほどそれは栄えそうだ。ほとんどの家は半農で半分は宿をやって儲けたようである。
それにしても、このおじいちゃんなんだか、やけにスラスラと詳しい。どうしてそんな詳しいのですか?と尋ねると、わたしは元高校の歴史の教師だったんじゃ、という返事。ひえー、である。わたしがふらりと集落を歩いて、高校教師に会うかね? 自分の強運ぶりに瞠目するね。自分だから瞠目できんか。それでわたしが見てきた他の家の話をすると、あああいつは自分がいた高校の校長だったんじゃと、それで前出のおじいちゃんが元校長先生とわかった。あいつというから歴史教師の方が年上か? 後輩が校長になって自分はヒラ教員で終わったんのかしら? もちろんそんなこと聞けっこない。
歴史教師の話はまだ続く。
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