所詮途中経過
2019年09月24日
最近は那須に戻ったって気がする
さいたまでもさいたまに戻ったって気がする。
さて有望そうな発信を読んでいると、まさにまだ稼ぎ終えていない途中経過である。100万円を5000万円にしましたって、それはそれで素晴らしいけど、でもいつ倒れるかわからないよね。それに生涯安心できる資産規模にはほど遠い。5000万円儲けたのででキャッシュで家を買って相場とはすっかり縁を切りました、て言うならこれはハッピーエンドで素晴らしいと思う。つまり勝ちが確定しているから。どこかで勝ちを確定させないと、いつまでも相場に張り付く亡霊みたいになっちゃうかもしれない。実際勝ちを確定させて遊んでいるプロってのはいますね。やってもやらなくてもいいんだけど、趣味でわたしのゴルフの代わりに相場という感じ。わたしはゴルフの方が面白いと思うけど。
まあそれは良いとしてわたしが気になるのは、そういう将来有望な個人投資家が見事わたしが提唱する個人的な革命を成し遂げて自由人となりえるか? と考えた場合にひょっとしてブログが邪魔するんじゃないかと言うことである。自分でいろいろ発する言葉はそのまま自分に返ってくるものである。また自分を縛ったりもする。相場というのは臨機応変変幻自在にやるものでそれをいちいち人に説明する義務もない。もしもわたしだったら途中経過は書かない。だってどうなるか分からないから。相場とは、なんて格好よく書いて何年かしたら消えてるってみっともないし、書いたことで相場ではマイナスに働くことの方が多そうに感じる。少なくともメリットはないんじゃない?
わたしがブログを書き出したのは2005年だけど、40代も半ばになって、それで多少自分の思うところを述べても恥ずかしくないなと思うようになったからってのが一つ。それと株の話はそれも終わってはいなかったけど、まあ完全に出口が見えて生涯で負けはないと確信していたから、だからいろいろ偉そうに書けたと思うし、そうなる前には書こうとは思わなかった。偉くないという意味より自分が危ないと感じるから。
ということでわたしは自分が欲しいと思うだけ稼げばそれ以上稼がないという考え方だから稼ぎ終えたって言えるけど、それさえわからない人も多い。みなさん、まずどこまで出口が見えているのかなって思う。皆さん驚くかもしれないけど、わたしはこのブログを始めた2005年に、目標これくらいでこういう暮らしをしたいからそこまで稼いだら止めるって自分で書いたのよ。それで十数年後にその通りしているわけ。まあ滅多にいない人の話はしているんだけど、自分で出口を決めて、それでビューと走ってさ、そこがゴールだ、で終わり。もっと稼げそうでもそこで終わり。なんか格好良くないですか? わたしはそう考えるという話です。
- 関連記事
-
-
春が近いかしら 2019/02/20
-
優しさの体積 2014/08/18
-
反省 2015/10/24
-
なぜ株をやるのか? 一生奴隷として生きるより野垂れ死を選ぶ 2020/06/13
-
礼服の選び方 2015/11/04
-