メンタルを鍛えるということ
2019年09月22日
伊豆屋の天丼は味噌汁も美味い
ネットでググるとご丁寧にこんなことをいう専業相場師を見つけた。最初は自分がビビらない1万円くらいとか5千円とかから始める。それを繰り返すことで機械的にいつかそれが3万5万10万となっていくと。それがメンタルを鍛えることだと。なにもわからん素人投資家はそれを読んで、ほーとか感心する。わたしに言わせれば馬鹿な話である。10万円の損きりを平然とできるようになった人間は、寿司屋に言っても3万円5万円の寿司を平然と食べるようになるだろう。10万の損きりに比べれば3万の寿司なんで安いものだ。どうせなら美味いものを食っておけと。生活全般そんな考えになる。
つまりだメンタルを鍛えたなんて立派なもんじゃない。ただ金銭感覚がずれただけである。さて、そうやってずれた金銭感覚で幸せになれるだろうか? 長い人生を楽しく生きられるだろうか?友人や家族や親戚とうまくやっていけるだろうか?自分の身の程の金銭感覚はそのまま持っていたほうが良いんじゃない? それに仮に儲けても、ずっと相場にはりついて切った貼ったと、すさんだ生活をする羽目になりやしませんか?(わたしには毎日モニターに張り付くデイトレ生活は私に比べるとはるかに不健康に思える。間違いなく体に悪い。それと年を食ったら案外できなくなるだろう。)
投資というのは人生の主ではない。従である。幸せになる道具なのに、それが相場で勝つためにはまともな金銭感覚を忘れてしまったほうが良いとなれば、それでは人生を相場に合わせることになる。自分の生活感、金銭感覚は忘れないようにしたほうが良いとわたしは思いますね。その専業相場師さんの言うことは、プロには当てはまるだろうけど、でもプロなら当たり前の話、聞く意味はない。一方素人にはいらないお世話ということになる。
でもそれはその専業相場師が悪いわけではない。きっと普通の感覚がわからないのである。そのわたしがぐぐった専業相場師は家が資産家でかつ奥さんがキャリアウーマンですごく稼いでいる。都心の一等地に自宅があって別荘もいくつもあって、相場なんてやらなくても食っていけるけどそれだと主夫とかプータローになっちゃうんで相場を張っているそうだ。鼻から住宅ローンを抱える庶民の金銭感覚なんて持ち合わせていないのかもしれない。(素晴らしい環境に恵まれただけでその人は悪くない。)
わたしが彼に言うことはなにもなくて、庶民たる個人投資家のみなさんは、相手をよく見てよく考えて学びなさいということである。ただ儲けているから真似しようなんて安易な考えでは人生をおかしくしかねない。 わたしがうまく言っている理由の大きな部分に、自分の生活感、金銭感覚を、つまり初心を忘れていないからだとこれは自分で間違いないと思っていますね。メンタルなんて鍛えなくていいですよ。自分の器の中でおやんなさいということである(もし鍛えるなら別次元の話ということ)
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