政治の世襲は国家に害する面多しと考える

2019年09月11日
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政治経済
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雨が酷くて鳩も我がベランダで一休み
割と逃げない

世襲議員本人にはそんな責任はないと思う。誰でも担がれれば乗ってみようかと思うのではないだろうか? それに自分が担がれなくても、必ず後援会なり支持母体は代わりの誰かを担ぐのである。このなんとしても世襲を成就させたい所謂既得権益層がこの国に災いをなしているとこれはそう言うしかない。

これはわたしの想像だけど、親が政治家ならその苦労など生で見ていて政治技術を学ぶという面はあると思う。一方元々庶民感覚が薄い人間として育てられるのでそのあたりの調子外れは一生付きまとう。だがそれで政治の世界では通用するし当選も重ねるし、別に政治家でいるためには差し障りはない。そもそもそういう人間がたくさんいる世界なのである。

ある政治家は自分は忖度などされていない、と明言する。だが忖度と言うのは自分が気づかないから、当たり前だから忖度なんである。子どもの頃から忖度されて育っているのでわかりようがない。ゴルフに行けば一番綺麗な整備された乗用カートに乗って、一番のキャディが付き、そしてゴルフの流れはスムースである。打ち込まれたりなどあり得ない。昼食になればできの悪い飯など盛られることはなく、ましてや、なかなか料理が出てこないでイライラすることもない。ゴルフ場のロッカーの調子が悪くて鍵がかからないなんてことも起こらない。いつだってスムース。それが当たり前。

唯一忖度してくれないのはゴルフボールだけなんだが、確かジャックニコラウスが日経新聞の私の履歴書でクリントン大統領とゴルフをしたときにゴルフボールまで忖度させていたと暴露している。ジャックくらいになると元大統領も怖くないというわけだが、日本ではさてどうだろう? 不思議と良いライに恵まれているなどあってもわたしは驚かない。

その人間が可哀想である。自然と人間が薄く軽くならざるを得ない。もちろんそんなこと誰も指摘してくれない。もっとも指摘されても聞く耳もない。当たり前のことが起きているだけなんだから。

ということで既得権益層の保持とさらに決して国民目線とは言えない(口では国民と連呼するが)政治家を継続的に産み出すシステムは国家に害ありと私は思う。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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