WHERE 生き甲斐 COME FROM ?
2019年08月24日

せっかくなんで自分の今まで撮った写真を記事の冒頭に載せたりしてます。どこかな?なんて当ててみて下さい。当たった人には賞賛をお送りします。
今日は生き甲斐という言葉についてお話ししたいと思います。さてあなたにとって生き甲斐とはなんですか? いろんな答えがあるでしょう。わたしのある知人は言いました、少しでも社会や人のお役に立てるのが生き甲斐です。また別の人は言います。家族が生き甲斐です。なんでも良いのですが、さて、それがもしなくなったらあなたは生きる意味がなくなってしまうのですか? 生き甲斐、この表現の対極は生きる甲斐がないつまり死になります。
幾ら仕事に生き甲斐を感じていても、君はもう必要ないと言われる可能性もあります。幾ら家族のために必死に働いたつもりで逆に家族はそれが負担でか離れていくこともあります。そしたらあなたはどうするんですか? 生き甲斐を自分の外に求めることはどうなんでしょう? どこまで自分自身を見つめて出した答えでしょうか? 相手も迷惑かもしれませんよ。生き甲斐があるから自分は幸せだ、これは決まりきった流れの言葉ですが、自分の幸せをその生き甲斐に託して、そしてその生き甲斐は自分に向かわず外を向いている。それがちとおかしいと皆さん思いませんか?
あくまでも考えるきっかけですからわたしに答えを求めてもそれはあなたには合いません。自分で探す事ですが、わたしの結論を言うなら、生き甲斐という言葉は要りませんね。幸せへのプロセスのワンクッションであるなら邪魔ですよ。いきなり幸せに生きれば良いのです。
わたしは15年たくさん文書を書いてそれでとても気分が良いです。楽しく書いています。それでたまに自分がずっと昔に書いた文章を読み返しますとね、いやあハルトモ君、いいじゃないって自分で感心するんですよ。時代を超えたナルシストなんだけど等身大で別に贔屓目もない。10年前にこういうことを言っていて行動に移してきたから今の自分があるんだなと過去の自分に感謝しますね。でも当時のわたしは未来の私を喜ばすために生きているわけじゃなかった。でもそうなった。そこになんかヒントがありそうな気がしますね。
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