自分の寿命をどう想定するか?

2019年08月09日
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人生の考え方
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那須にもひまわりの名所があるがまだ時期が早いようである。さいたまと那須を結ぶ国道新4号線に街道沿いに見事なひまわり畑を発見して写真をパチリ。高速でびゅーと行ってしまうより道の駅とか寄り道するのが楽しい。

わたしがなぜ国道を好むのかという1番の理由はそれが一番幸福感が高いから。若い時に車に乗ってなんの制約もなく好きな所に行くのを夢見ていた。その夢が実現した喜びをずっと噛み締めながら運転していると言うわけだ。ちょっと裕福になったからと言って昔を忘れるほどバカじゃないと言うより、そこに大切な郷愁を感じる、我がオリジンなんである。


私と同世代で考え方に大きく差が出るのは、自分の寿命じゃないかなと最近そう思うことが多い。同級生と話していても、今は61歳でせいぜいあと10年くらいだろうって、真顔で言う同級生もいる。20年という同級生もいる。まあ平均寿命から言うと20年とか25年というのはそれなりに根拠があるのかもしれないけど、それより気になるのは、そんな長生きしたくないとか言う人間がけっこういて、逆に長生きしたいと強く言う友人知人が少ないのである。みんな生きているのがそんなに辛いのかね?


これはわたしの感覚だけど、長生きしたいと願う人間の方が長生きしたくないという人間よりだいたい長生きするんじゃないかしら。もちろん例外はいくらでもあるけど、まあ生きていて楽しいから長生きしたいわけで、やはり楽しい人の方が長生きするというのはそれはそうだろうなと思う。


自分がどれだけ生きるか、この感覚の違いでお金の使い方も変わってくると思う。そんな老い先長くないと思えば、それだけお金を使う方に気が行くだろうし、まだまだ長生きする気なら考えて使わないといけない。60歳であと10年くらいと思う人間とわたしみたいにあと40年とか45年とかと思っている人間の金銭感覚が同じにはなるはずがない。


実際人間の寿命はわからない。元気でぽっくりと行く人間もいれば、病気を抱えながら長生きする人間もいる。事故だってある。だが少なくとも自分で短いと思う必要はない気がする。医療技術だってどんどん進歩している。親が早死にでも自分は長生きして全然おかしくない。時代もまた生活習慣もそして性格も違うのである。まあわたしのようい楽しく生きることですよ。


私の親父は自分で長生きなんてしたくないと、よく言っていた記憶がある。長生きしたいなんて絶対言ってなかった。そして自分で宣言した通りになった。私は逆に長生きしたいのだが、自分の宣言通りになりたいものだ。なにせ生きるってのは楽しくて仕方ないからね。







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