自分の器をご存知か?(お金の話ね)

2019年07月10日
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人生の考え方
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リゾートマンションは畳に続いて絨毯を張り替えた。さらにカーテンも換えたので気分一新である。ウグイス色は正解だった。それと以前より厚いものを入れたので気持ちよく歩ける。フローリングにする案もあったけど床に座り転がりたいのでこの方が良い。その絨毯の上に肌触りがさらっとしたベルギー製のラグを敷いた。それでテーブルを置くだけ。家具は置かない。収納は別にあるし押入れもあるし浴室は使用せずクローゼットなので十分である。

それほど大きくないけど学生時代のアパート暮らしを思い返すとまるで夢のような環境である。もしこんな部屋に住めたらどんなに幸せかと学生じゃなくて若い独身サラリーマンでも嬉しくなるような部屋。それは私にノスタルジアを感じさせる。若い時のささやかな夢を一つづつ実現する喜びを味わう。

それにしてもここがセカンドハウスだからね。夢にも思わなかったとのはこのことだ。結局不動産屋は入れずに自分で個人間で契約書を取り交わしたが問題なく契約支払い引き渡しと完了した。所有権は完全に移転して私のものになっている。立派な区分所有者である。後は登記手続きがまだ中途だが特段問題なく終える見込みである。司法書士も使わない。

もともと不動産には興味がなかった。だが金があると不動産というのは簡単に買える。それで持っている満足感はキャッシュよりも大きい。残高は数字が並ぶだけで面白みはない。家はこんなにあるのかと思うとなんとなく気分が良い。自分が実際使える家だからだろう。借金してアパート買ってもこんな気分にはならないと思う。

こうなるためにガムシャラに働いたという記憶は全くない。家族との時間とか何を犠牲にしたこともない。良く遊んで良くサボった。嫌な事はやらない。それでなんだかんだ言っても欲深くない。もっともっとと思わずにさっさと稼ぐを手仕舞いする。最初こうだと良いなあと欲しいだけ得ればそこで終わり。

自分の才覚を絞り出すようなことはしない。遊びも仕事も投資も余裕しゃくしゃく。人生は振り返ると全部笑い話かつ自慢話になって苦労話はない。わたしと同じような成果を誰もが得られるわけではないだろうけど、本質的に同じ事をすることは可能である。自分というものをよく心得て、そして自分の器のずっと内側で足りるを知って欲を書かないことなんである。

己の分を知るということ。これがなかなか皆できない。自分を過大評価する人間も多いし、自分を過小評価する人間はもっと多い。自分を過大評価する人間は成果とか経過で自分の評価を変えてしまう。こんな儲けたんだから俺は才能があるんだとか。それでどこかでひっくり返る。逆に過小評価する人間は自分に自信がないから本当はできることまでできなくなってしまう。そしてますます自信を失う。望むべくは自分の器の範囲まで己を信じてやり、そしてその器以上には信じないことである。根本は自分がどれほどの人間かそれをきちんとわかることである。

そのためには自分で自分を評価することである。大人の評価とかあるいは試験の結果とか学歴とか、他人に自分の評価を委ねて育った人間は大人になってもその習慣が抜けずに常に誰かからの評価とかあるいは目に見える成果を気にして生きている。もちろん他者の評価はちゃんと理解しておくべきだが、まず自分で自分がわかっていないことには他者の評価云々も実はないのである。そこをどれだけ真面目に考えるかである。と言ってもまず無理か? 教わったことしかできない。正解がある問題しか解けない人間では。

私はなにかをする時に、最初から誰かに教わろうとか誰かの真似をしようなんて考えない。自分でできるかできないか考えるのである。株なんて誰からも教わらずに自分でも儲けられると自分でわかったから人の言うことなんか聞く必要はない。勉強も練習もいらない。それはビジネスもそうだ。

最初から真似をしようなんて気持ちは私にはないがそこで意地を張っても仕方ない。出来ないものは出来ない。だから教わった方が良いとおもえば素直に教えを請う。例えばゴルフとかそれとか講談とか乗馬とか。わたしは師匠に素直である。この私の傲慢と従順のコントラストがなかなか他人には理解できない。

自分で自分がどれほどの人間かこれを自分で一から考えもしない人間がほとんどである。常に何かをベースに物事を考える。それは先入観とか既成概念というものである。それをが外したら思考停止なんであろう。

わたしはわたしの今の生活に大変満足している。これ以上を望まないしわたし以上の贅沢をする人間を羨ましいとも思わない。それぞれが自分の器の範囲でやれば良いことなんである。立派な暮らしをしたり望む人間に対しては言葉では言わないけど、あんたの器はどれほどかいなとは思う。人間の器なんて大差ないような気がするからである。一方で知っていることは人間は自分より器の大きな人間は見えないと言うことである。金も同じだろう。だから各人勝手にやればよろしいということではある。






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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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