見ていたというなら

2019年05月26日
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日々の雑感ーリタイアライフ


物議を醸したこの一番だけど、自分が見ていたのだから間違いないという放駒審判の一言で行司差し違いとなった。でも行司は明らかに栃ノ心の右足に注目して軍配を上げている。ビデオでは栃ノ心の足が残っているように見えるが断定できないという返事だったそうだ。他の審判も同じ意見だったようだ。




写真の角度によって着いてるようにも見えるし着いていないようにも見える。

大相撲では昔からのしきたりで行司は一票を持っていない。あれだけ間近にみて行司が判断したその目はまったく重んじられず、同じく見ていたと1人主張する放駒審判の意見で決まった。行司は意見を求められたときだけ発言することができるという規則らしいが、この難解な判定でも行事に意見を求めた様子もなくまた行司が何か言った様子もない。これでは納得できない人間が多いのも当たり前だ。彼が見間違えていないという証拠はどこにもない。行司が見間違えたという証拠もどこにもない。

行司というのはただ衣装を着て動き回って掛け声をかけているだけで実はあれは審判でもなんでもないというわけである。一応軍配は出すが重みはない。このあたりはどうなんだろう?伝統とかしきたりじゃなくて、行司の位置付けはスポーツである以上主審とは言わないまでもちゃんと審判の一員として扱うべきじゃないかしら? 


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