痛快に生きる
2019年05月24日
カミさん手作りのナンプラー丼。暑い季節にはピッタリである。カミさんが作る料理をアップするだけでもわたしの幸福度が伝わるんじゃないかしら?いくら社会で栄達を極めてもあるいはいくら金を稼いでもそれだけでは別世界の人ということで羨ましがられることはない。むしろ妬みを買う場合が多い。わたしは実感としては妬みを買っている気がしない。わたしの生い立ちや若い頃を知っている古い友達はたいてい今のわたしを凄いなと賞賛してそして祝福してくれる。
大学を出て就職した最初の会社の人たちからは今でも連絡があるし一緒に飲むこともある。古い体質の会社でわたしのようには生きられないけど、でもどこかスカッとするなと思わせる部分がわたしの生き方にあると言ってくれた人もいる。自分にはできないけど自分の分までハルトモ頑張れとそんな調子である。我ながらなかなかいんじゃないかしら。
もちろんわたしに反感を持つ人間もたくさんいたと思う。特にわたしの行動を己の意に沿うように制御しようとした人間は悉く失望と怒りを感じただろう。ハルトモは制御不能である。わたしはそういう輩とは交渉はしない。脅しにもビクともしないし甘言にも乗らない。達観と言ってよいのか、人生はひたすら生きてそして最後死ぬだけである。墓場に持っていけるのは思い出しかない。であるなら後悔するような真似などすべきじゃない。かと言ってみじめに朽ち果てるのは論外である。カッカと笑いながら痛快に生きる。だからこそ他人からみてもスカッと感じるのかもしれない。
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