幸福論の限界

2019年05月11日
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人生の考え方
人間かなり年を取ってから、何かに気付くってことはあると思う。それがだいぶ後の方だと後悔ってことにたぶんなる。散々やってみてそこで気付くということもあるし気づかないこともあるんだと思う。気付くと言ってもそこは絶対的な答えではなくその人なりの結論ということである。死ぬまで変わらなければそれはそういう人ということ。

何十年と働いてきて、、、、結局会社ってのは、、
いろいろと美味いものは食ってきたけど、、、
ずいぶんと贅沢もしたけど、、、
ここまで生きてきて、、結局人生ってのは、、、
、、、結局お金ってのは、、、
人間にとって幸せとは、、、、

いろいろあるだろうけどもし考えが変わるなら、それは早く気付いた方がたぶんいいんじゃないかな、とは思う。それで修正するなら後悔はしないで済む。わたしの場合は30歳から50歳までにいろんなことに気づけた。それでずいぶんと行動も変わった。もちろんずっと変わらずにいることもある。それはそれで信念としてずっと持ち続ければ良い。

幸福論という論議があるのかないのかよくわからないけど、自分なりの幸福感を確立するのは早くすべきである。なぜなら自分の幸福というのは、幸福とは何かなどと考えたり、あるいは結果を受け入れたりしながら論議するものではなく、自分の幸福感に則り人生そのものをまさに生きることが最重要であるから。

どんな立派な幸福感を確立しても長年その通り生きてこなかったのなら過去は変えられないからどうにもならない。つまり幸福論というのは、質以上に時期が大切でかつ行動を伴わないと後悔しか生まないということである。

わたしの場合はこのブログを書き出した少なくとも2005年には現在の幸福論=人生観に近いところに来ていたのは証拠十分であるけど、ある日突然出来上がるものではなくて、こうじゃないかなって仮説があって、そして実験というか実践をして、仮説を検証して結論を得て、さらに行動を重ねソフィスティケートして結論を確信に高めていく。確信が高まってきたらその確信を大切にして行動の質を高めていく。

それができた人なら、間違い無く幸せな人ということになると思う。生きていればいろいろあるけど、結果とか現状に合わせて適当に考えないことである。そう考えると安易な幸福論も多すぎるという気がする。よく言われる、多くの出会いに恵まれて幸せ? 家族がいて幸せ? 打ち込める仕事に出会えて幸せ? どれも感覚的には好ましいとは思うけど、それが本質かと言うと、わたしはちと首をかしげる。なきゃ不幸とは言えない。

幸せというのはそうやってあっさりと我が身に振り降りてくるものではなくて、よく考えて、行動して見直してさらに行動を積み重ねる。そうやって手間暇かけて自ら(ひょっとして誰かと手を携えて)作り上げるものだと、そういう考え方もあるんじゃないかしら? 少なくともわたしはそうやって生きている。幸福という状態は急に出現するのではなく、幸福度を高める長いプロセスがあって、それが人生って言っても良いと思う。


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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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