損得勘定に長ける人

2019年05月05日
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人生の考え方



この日を待っていたという感がある。最近は乗馬クラブで野良仕事ばかりしている。週に3時間なんで「ばかり」というのも変だけどとにかく乗馬クラブにお客が来ないのである。乗馬クラブじゃなくて厩舎である。それでも馬がそばにいての野良仕事は嫌ではないのだけど、そこに出入りする人のツテで道の駅での乗馬イベントを手伝ってくれないかと声がかかった。

道の駅でポニーとサラブレッドを一頭づつ、餌やり体験とか引き馬で 道の駅の中とそれから外に出たりする。私は大人も子どもも笑いを取りながらサービス精神たっぷりで応対する。馬の世界の人と言うのは馬に接するのは得意だが人と接するのは不得手という人が多いので、その点で私は図抜けている。子どもたちは大喜びである。賑やかなイベントでとても楽しい。

わたしは児童養護施設も働きに行ったけど、つまり子どもの喜ぶ姿を見るのが好きなんである。子どもというのは大人みたいに裏がなく凄いものに素直に反応して目をキラキラ輝かせる。大人になるとそのキラキラする目を多くの人は失ってしまう、まことに勿体ないことである。一生目をキラキラ輝かせて生きればいいのにね。

私以外に乗馬クラブだと思ってきたけど野良仕事ばかりで辞めてしまったアルバイトの人もいる。一時人がいなくて重労働できつかった時期もある。給料も遅れ遅れである。辞めるのが普通であると思うけど私は辞めなかった。耐性があるのと、なんとなく良いことがありそうだとかいう勘もあったし、それに大したお金でもないのに見えている部分だけの損得で物事を判断しないという私の考え方がある。見えていないけどなんとなく見える、という感覚である。

だいぶ昔の話だけどわたしは会社で営業所の所長に昇進させると言われたが親の病気で毎週静岡に帰っていたので転勤できないと断った。大してお世話にもなっていない親父の看病のためである。結果昇進が遅れた。私の同僚で親が病気なんだけどそれを置いてアメリカに転勤した人間がいて、その人間は出世コースを爆進してわたしからは見上げるような存在になったんだけど、結局わたしが営業のトップについて彼は私の部下になった。そういうもんじゃないかしら? 生き様に筋が通っていればそのうち運は向いてくるのである。そこがなんとなく見えるということ。だから目先の損得にフラフラしない。

乗馬クラブのイベントを終えて、夕方5時から手引でハーフだけ回った。最後ボギーで40点。最近はスコアがまとめやすくなっている。日が暮れて上がってくると、ゴルフ場が全く仕事が終わっていない。一人だけいたが連休であまりにお客が多くて混乱してしまったようである。

結局私が無給で1時間半一人で全部片付けをしてあげた。お金の計算も終わっていなかったのでそっちをやっていた。現場はそのままにして帰ってしまっても翌朝の人間がやれば良いと思うかもしれないけどそれでは翌日の人間が可哀想だ。私が元気でできるんだから、やってあげれば良いかと思った。もちろん私はこんなことしたんですよ、、なんてわざわざ同僚に言う必要もない。私が好きでやっただけのことでありタダ働きはバカバカしいとか思わない、私にすれば給料なんかどうでも良い。代わりにゴルフをさせてもらっているだけである。

生きていく中で損得にこだわらない、なんていう気はない。私は損得抜きで行動する人間ではない。むしろ損得大いに興味ありである。ただそれも長い視点で総合的に判断しないといけない。わたしは、自分の軸をブラさないとか自分の考え方を貫くというのは、一時損しても最後はプラスになるという自信がある。どこかでおかしくなってもまるでゴルフスイングの基本のようにそこに立ち戻ってまた体制を整えることができるのである。

そして一番大切なのは自分の納得である。ずっとそうやって生きていれば、しかたないなと思うことはあっても後悔することはない。まあいずれにせよ会社でもあるいは投資でもまた人生でも、わたしの損得勘定は素晴らしい出来である。結局私は損得勘定に長けた人なんである。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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