才能と努力の話の続き
2019年04月07日
プロギア アイアンセット 新品 2015年モデル
プロギア 単品アイアイン 新品 2015
ゼクシオ 単品アイアン 中古 2012
プロギア アイアンセット 中古 2009
キャロウェイ ドライバー 中古 2016
プロギア ドライバー 中古 2016
プロギア 3番ウッド 中古 2016
タイトリスト 3番ウッド 新品 2018
プロギア ユーティリティ 中古 2011
買ったクラブの本数は20本。ウェッジとパター以外は一本を残して入れ替えた。
唯一生き残ったのはコブラのバフラープロ ユーティリティ 18度。これは名器である。他のクラブとのバランスを見ながら買い換えるかどうか決める。
プロギアの2009のアイアンセットは 502フォージドと言ってこれも名器でわたしはシャフト違いを持っていたが新たにM46というスペックで買い直した。これを工房に持ち込んでロフトとライ角を調整して、もう一つのアイアンセットと揃えた。さらに買ったクラブを全部バランス重量調整を行なった。これは自分でやった。とても忙しかったし頭を使った。わりと優秀なおつむだが最近こういうことにしかおつむを使わない。
ドライバーは2本、さらに3番ウッドとも同じシャフトである。ディアマナのBF50というのがあまりに素晴らしいので、同じシャフトのものを中古で探しまくった。
BF50は58グラムで50グラムのシャフトとしては少し重めでそれで60グラム台のシャフトのように叩ける。叩いても吹け上がりにくく左に行きづらい。今時のヘッドの組み合わせで棒球になる。ただ軽くしてヘッドスピードを上げたわけではない。シャフトは4グラム軽くしただけだ。距離はコブラのヘッドで青マナで叩いていた時に戻った。今まではMJ6というやわなシャフトで叩かずにいたので距離が前より落ちていた。
もしリシャフトで新品のBF50を換えば3万4万するが、中古でクラブになっているとそんな価格差はない。ヘッドはどっちも2016モデルだけど距離は2017、2018と変わらないと思う。変わるようならシャフトそのまま使って書い直せば良い。そんで新しいシャフトと古いヘッドの組み合わせで売ってしまう。今は簡単にシャフトが取り外せるので凝ったシャフトを使いたい人間にはとてもありがたい。多分クラフトマンはだいぶ仕事が減っただろう。
今回買ったと同時にクラブをたくさん売った。10数本売った。たくさん売ってわかったけどだいたい売ってる値段の3分の1で買う。今回買う方のコストは全部で17万円くらいであった。一方売ったのが5万円なんで総額12万円で済んだことになる。新品で全部揃えたら軽く50万円になっただろう。この価格でこれだけのこだわりのセットが2セットできるというのは流石に我ながらよくやったと思う。他におつむの使い道がないからね。
練習も猛烈にやっている。那須で夜に練習場に行く。夜は球筋がとても綺麗に見える。ボールはコースボールであるから感触と弾道も実戦的。150球打って650円である。安い。もちろん昼はラウンド。先週は4日ラウンドした。トーナメントプロ並みのラウンド量で、これだけやれば上手くなるとは思うが、びっくりするほどは上手くならない。
スポーツというのはおつむも重要だけどそのおつむで持つイメージ通りに体が動かせる人間がいて、それが才能だと以前聞いたことがある。ゴルフにしたってミスしたくてミスする人間はいない。でもどういうわけか体がおつむの指令と違うことをする。指令したことをしないくらいならまだ良くて全然違うことを勝手にしたりする。いったいどこのどいつが指示しているのかと思うが、これがおつむで作ったイメージとのギャップである。このギャップを埋めていくのが練習だけど、才能あるなしが大きく関係する。それとたぶん若い時にやったほうが良い。歳を食ってくると、おつむも固くなってイメージそのものも怪しくなってくる気がする。
たまには月例競技にも出ようかと思っている。ゴルフはやはり競り合うことで上手くなる。いつもいつも競り合う必要はないけど、プレッシャーのかかるプレイをすることで、普段のゴルフの平均スコアは上がると思う。
いつもゴルフとかスキーとか趣味のことを考えている。だがこれって仕事をしていた時とそれほど変わらない。仕事はそんな考えないでもなんでもできた。資料作りとプレゼンの用意に多少おつむを使ったくらいかなと思う。それとわたしがしていた仕事というのは体が勝手に動くことはないので、その点は楽だった。そこはスポーツとは違う点だ。もっとも別の意味での才能はやはりあったとは思う。ここでは何度も書いてきていることだ。
いつもゴルフとかスキーとか趣味のことを考えている。だがこれって仕事をしていた時とそれほど変わらない。仕事はそんな考えないでもなんでもできた。資料作りとプレゼンの用意に多少おつむを使ったくらいかなと思う。それとわたしがしていた仕事というのは体が勝手に動くことはないので、その点は楽だった。そこはスポーツとは違う点だ。もっとも別の意味での才能はやはりあったとは思う。ここでは何度も書いてきていることだ。
全体としてはわたしは才能に恵まれた人間だと思う。でもその才能をさらに努力して高めるよりも、才能がないことに多大な努力をする人間である。それで楽しいのだから仕方ない。勿体無いと言う人はいるけど自分では気に入っている。才能と努力はセットで考えなくてもいいんじゃないかしら。才能は才能でそれなりに生かす。努力はやっていて楽しいことに向ける。案外楽しく生きるこつのような気がする。才能があっても好きでないことはやっていて結果は出ても楽しくない。
イチローが引退のコメントで野球は好きだがやっていて楽しくなかったと言っていた。それも人生だとは思うがわたしは好まない。そもそも栄達は望まないし金も暮らすに不自由なければそれで十分。才能でさらっと稼いで、才能はなくても好きなことに力を入れる。でも才能でさらって稼げる人がそんないないんだからずいぶんとけっこうな身分である。わたしの人生は才能に負うところが大きいね。ほとんど才能だけって感じ。ただ親からもらった遺伝的才能というよりどこかで自分で育んだ才能だとは思う。もちろん努力して育んだわけわけじゃないからそこはよくわからない。何度もここで書いているけどけっこう不思議である。まああったからなんでもいいんだけど。そんでその才能は使い終わったんかな? それともまだ生かしていない才能もあるんかしら? そんなことも考えている。
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