謙虚であるということ

2019年03月31日
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人生の考え方
もっとお金があれば、、と考える人はたぶんほとんどかな。わたしでも少し考える。株とか不動産投資でもそしてサラリーマンでも自ら稼ぐをの終わらせてしまったけど、もっとやっていればどうなったんだろうな? でも今より幸せだったとは到底思えない。

遊んで暮らせるから幸せという意味ではない。要るだけ稼いだらそこで終わるを潔しをして稼ぐに邁進して、実際スパッとやめるからこそ美しい、自分なりに納得できる生き方になる。その納得を差し出してまでお金をもっと得たいか? そうは思わないということである。

もちろんお金を稼ぐのはそんな簡単なことではない。何もせずにいくらでも儲かるならわたしも続けたかもしれない。だがわたしの稼いだ歴史は株でもサラリーマンでも勝負勝負の連続である。よく負けなかった。そしてこれくらいになりたいと思っていたくらいになったなら、そこから先は欲であり。その欲で走れば負けるかもしれない。負ければ今までも積み上げたものまで失う。ここが潮時ということである。

このブログで自慢し放題、自分は金持ちだ、頭が良いと、これは謙虚の真逆、すなわち傲慢に見える。書きたいように書いているだけだけど、これは実は世のいわゆる謙虚を重んじる人間への当てつけになっている、という意識はある。

本物の謙虚というのは自分自身に対して謙虚になることである。出来ないことをしない。自分に不相応なものを追い求めない。自分なりに足るを知る。ところが世の多くの人は他人にへりくだり、やけに謙虚を装うが、内面は私よりも強欲である。なぜなら不相応なできもしない結果を得てして追い求めるからだ。株で儲けようなんて人間のほとんどが負ける。これが謙虚と言えるだろうか?逆にできることをできると言うのは別に傲慢ではない。

かつてわたしはホラ吹きと言われた時代があった。だが今わたしのことをホラ吹きだったと言う人はいない。言うことやることホラじゃなかった。でも成功したんだからあまり自慢するのはみっともない、もう少し謙虚に振る舞う方が良いという人もいる。

そういう人は自分こそさっさと成功して自分で謙虚に振る舞えばよろしい。他人はどうでも良いではないか? 他人のことをとやかく思うのは他人の視線を気にする気持ちの裏返しである。つまり自分に謙虚より他人への謙虚をわたしに求めている。まあ好きにすれば良い。わたしには他人をたしなめる趣味はない。

ちなみにみっともないと思うなら付き合わなけば良い。わたしの態度に不愉快に感じる人がけっこういることは自分でも承知しているからわたしは意識してそういう人と距離を取ることもある。不機嫌にさせてまで付き合うのは失礼だし良いことはない。

生き様というのは全部ワンセットになっているのである。ホラを言うと言われた自分も、傲慢だと言われた自分も、そして自慢すると言われる自分も、株で乾坤一擲の勝負を張る自分も、そして会社での栄達そしてそれを捨てるのも、損得抜きで年寄りの面倒を見たり施設の子どもと向き合ったり、家族を大切にしたり、自然に振舞ってこの程度の人間ということである。一貫しているからこそ、部分だけ取り出して変えようとすると全部壊れるかもしれない。そういう危うさの自覚がわたしにはある。ゴルフクラブのセッティングのようにそんな簡単には変えられないのである。



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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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