寄付するのは誰のため

2019年03月15日
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人生の考え方
児童養護施設では寄付というのはよく受け付けていた。寄付する人というのは、児童養護施設なりの恵まれない子供たちに役立てて下さいとかの思いでお金をくれるんだろうけど、ほとんどの人はその寄付をした時点で気持ち的には終わってるのね。実際自分のお金がどれだけ生きた使い方をされているかについてはあまり詮索しない、というか興味がない。

多くの寄付する人が勘違いしているのは、自分が寄付したことによって貧しい人とか恵まれない子どもとかが喜んでいると思うこと。実は寄付して一番喜んでいるのは寄付した本人なのね。寄付された方は別に嬉しくないですよ。所詮余った金、どこの誰か知らない人間がその余ったお金を送ってきただけの話。別になければないでどうということはない。寄付する方にしても、それなりに成功したかゆとりある生活があって、その恩返しとか思うだろうけど、実際恩返しの具体的な方法を考えると、寄付というのは一番手離れが良くて簡単で自己満足が高い。

児童養護施設の子どもとして自分も施設で暮らしたし、職員としても施設で働いたけど、子どもたちは何に飢えているのか?
お金に飢えている? まさか。愛情に飢えているのです。その愛情に飢えている子どもに寄付というお金。寄付すんなって言ってるんじゃないですよ。自己満足のためにどうぞおやりなさいってことです。一応お金はお金だし、実はわたしだって30年毎月送金している。ただそれだけのことって話。

わたしは54歳で会社を辞めて児童養護施設に行きましたけど、わたしの能力とキャリアなら今でも働いていても少しもおかしくない。それもかなりの待遇で。外資系なら65歳くらいまで軽く働ける。つまり仕事を辞めることで経済的にはぐっとマイナス。ではずっと働いて、それで例えば何千万円とか寄付した方が良かったですかね?わたしはそうは思わないのね。お金でなくて自分の時間と体力と気持ちを捧げた。理由はわたしがそうしたかったからですよ。つまり自己満足。そこの動機は寄付と同じです。ただ寄付より手が込んでいて多少子どもの気持ちも考えていて、どうだ、わたしのようにはできないだろうってのはある。なにせ自己満足だから。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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