農耕民族と相場

2019年03月08日
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人生の考え方


自分のブログにアクセスする度にでっかい表示で辟易とする。わかった。Xでもクリックして二度と表示しないとかできんのかな?
自分としては移転するのは構わない。多分それほどの手間ではないだろう。そういうツールが用意される。コメント欄は全部消えるらしいが、そもそもコメントドリブンのブログじゃないからきに気にするほどのもんじゃない。それと移転するってことは暫くなんか遊べんじゃないかしら? ネット環境の良いお洒落なカフェで作業をしたいね。


人間を二つに分ける考え方でこのブログでも狩猟民族と農耕民族という話は何度も書いているけど、相場で成功するには農耕でなく狩猟のイメージを私は持っている。サラリーマンは農耕民族ってことね。集団で農耕して収穫を、多分不公平な分け方をして、それで備蓄して、そんなサイクル。決して狩猟民族の方が稼ぐ力があると言っているわけではない。狩猟民族で稼ぐ力がないとすぐに淘汰される。農耕はそこが助け合いということが起きる。集団を維持するためだ。農耕民族の集団で狩猟民族みたいに振る舞うと勝手にしろと困った時に助けて貰えない。そんな農耕でもなく狩猟でもないという中途半端な状態は困るので皆良き集団人として振る舞う。


農耕民族は今年の作柄が悪いとすぐに来年のことを心配する。あるいは伐採とか灌漑とか数年単位で事業を起こす。品種改良も手間と時間がかかる。食べ物の備蓄も長期間。つまり農耕民族は時間軸が長いのである。逆に言うなら相当先のことまで見渡せないと不安で仕方ない。この不安が農耕民族のメンタリティを醸成する。子どもの頃から随分先の進学とか進路とか心配して必死に勉強してレールに上に乗り、そして順調な人生を歩みたい。これは農耕民族だから思うこと。狩猟民族はもっと視点が近くてそんな来年再来年なんて考えない。そんで狩猟したらすぐ食べる。備蓄という考え方もなくはないがそこは生物だけに弱い。それにそこらに獲物が見えているならまあある意味生かして備蓄してあると言えなくもない。

狩猟民族はこの今の生活を優先する。もちろん将来を考えるけどそれはかなり近い。今が楽しいが大事。一方農耕民族は将来がいつも不安だから、現在より将来を優先する。将来のために現在を犠牲にすることを厭わない。今より明日を楽しくしたい。さてこれが連続するとどうなるだろう? 農耕民族の将来は次々と現在となって時間の流れ通りに自分に押し寄せる。将来は自分の影みたいなもんで踏もうと思って先に行ってしまう。人間には寿命があるし老いもある、気がつくと随分と年をとって、あれ変だなと思った時にはもちろん狩なんてできない。

農耕民族が狩猟民族に変身することはあまりないような気がする。生まれて長年刷り込まれたものは変わらない。もちろん農耕民族でも狩猟民族が混ざっているのでそういう人は狩猟を始めてもうまくいくかもしれない。もちろん可能性は低いんだろうけど。自分は狩猟民族か農耕民族か?そこは一度考えてみたらよろしいような気はする。相場を農耕的な考え方でやらない方が良いとはわたしは思うから。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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