言葉が軽ければ人間も軽い
2019年01月24日
ネット社会というのは言葉のやりとりが全てなんで余計際立つ気がする。実社会でいろんな人間を見てきたけど、言葉が軽い人間は間違いなく人間が軽かった。たぶん軽い人間には自分で軽いという自覚がない。言葉を放てば放つほど軽さが際立つのに本人はなにかリカバリーでもしているか説明でもしている気になっている。
ネット社会では、ほとんどの人間はあったことがないわけだから実像は知らないが、言葉が軽い人間はたぶん実像も軽いと断定して間違い無いと思う。ではどういう言葉が軽くてどういう言葉が重いのか? これは読むと即座にわかるのね。わたしは。当たり前だけど言葉が軽いというのは、軽妙な言葉のやりとりという意味じゃ無い。その人間の薄さが垣間見える言の葉ということですよ。
じゃあお前はどれほどのものかと言われるかな? まあ議論する気はないけどわたしは非常に重たい文章を書くとよく言われる。こんな気軽に書くブログでもだ。では人間は重いのか? まったくその通りで常に肥満との闘いである。すこしは軽くなりたいよ。
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