将来の株価を予測することは可能か?

2013年04月30日
0
0
株式投資
多くの個人投資家は将来上がると思うから買うのであり
下がると思えば空売りもすることもあるだろう
であるから、できるかできないかという議論の前に
すでに予測している人がほとんどである
 
であるから予測をするのは勝手であるが
それが当たる予測であるかどうか?
であるということになる。
 
できれば一財産作るくらいに使える予測であってほしい
一財産というのはわたしの定義では家一軒分である
家一軒ただで手に入れると経済レベルはがらりと変わる
ほとんどの庶民は家のために多大なローン金利を払ったり
また家賃を払って、金融機関なり大家なりを儲けさせて、
その経済レベルは住居のために激しく消耗される
家一軒ただで手に入れてあれば
かなり経済的には自由である
どんな仕事をしても食っていけるからだ
 
仮に家で言うなら3-4軒持っていれば、(良い物件であれば)
ほぼ完全に経済的自由だ
一軒に住んであと貸しておけばいいのだ
別に家でなくてもいい
なにか他に金を生み出すものでもいい
例えば豪ドルを一億円持っていれば
毎年500万円くらい金利がついくので
働かなくても暮らしていける
あと年金でもいい
毎年数百万円年金が入って、持家ならもちろん経済的には自由だ
そうなるのは年を食ってからでも十分なので
まずは家一軒ただで手に入れることができれば
それはかなり楽である
ということ、それもできれば若いうちにだ
若いと言っても40代でいいと思う
あまり若いうちに大金を手に入れても
精神面がついていかずに道を誤る可能性は極めて高い
 
さて、本題だ
ほとんどの個人投資家は負けるか勝っても知れている
これはすでに結論が出ている事実と言っていい
ということは予測してその予測がうまく行っていないか
あるいは予測通りに実際売買していないか
何かがうまく行っていない、と言っていいことになる
 
でどうする?
そこで「将来の株価は予測できないものである」
という論が出てくる
予測できないことを前提に、なんとか儲ける方法はありはせんか
そういうアプローチである
これは多くの個人投資家より一段上のアプローチと言えなくもないが
そういうことをしているプロはごまんといるので
そこでまた難しさが出てくる、
長期間勝ち続けるのはかなり難しい
わたしはこのアプローチにあまり興味がない
面倒だ
 
そもそも予測をしないということは
株式市場の成り立ちの歴史に逆行する考え方である
それでも別に構わないと言えば構わないが
それで儲かればいいのだが、そこはどう思うかだが、
 
株式投資というのは、まず株式市場がいきなり誕生したのではなく
まずビジネスがあって、そのための資金調達という目的で
投資家から資金を募るというのが出発点である
であるから、株式の前にまずビジネスありきなんである
こういう商売をしたら、これだけ儲かると思うから
ビジネスを始めるわけで、なんの見込みもない人間が
会社を経営して成功するわけがない
相場師に会社を経営させて、なにも考えないで
儲かるならやる、儲からないならやらない
そんな単純な話になりっこない
株は売るか買いだが、ビジネスはやりようであり、選択肢が無限にあるのだ
そのビジネスが見込みあると同じく思う人間が投資をする
これが株式投資も出発点だ
だから、予測をするというのは極めて自然な行動だが
でも、そこでひょいと金を出すくらいで
ビジネスをやっている人間と同ように儲けられると思うなら
そりゃ甘い、であればだれも苦労してビジネスなんかやらない
そこに投資家の難しさが出てくる
 
 
予測と言ってもいろんな予測がある
仮に明日の天気を予測する、そういう市場があるとしよう
雨が降らないなら丁
少しでも降れば半としよう
丁半博打だ
 
あなたは気象庁なりウェーザーニュースで最新の情報が手に入る
あなたの相手はどうだろうか?
まず相手がどの程度の情報で勝負しているか?
それがわかりたい
相手はおいぼれで
インタネットも新聞もテレビも持っていない
どうだ?かなり有利だ、負けっこない
そう思われるか? 甘い甘い
相手はこの道50年、筋金入りのマタギだ
雲の流れ、陽の当たり方、風向き
それらを組み合わせて、明日の天気をぴたりと当ててしまうかもしれない
そういう人間と勝負しても勝てない、逃げるべきだ
いくら天気予報と言っても当たらないことはいくらでもあるのだ
マタギが来たら逃げるしかない
 
でもこれは一対一での話だ
これが100人参加者がいたとしたらどうであろう?
ここで考えることは
100人のうち何人が勝ち残れるかだ
ゲームの特性を考えて上位5人が富をかっさらっていってしまう
そういうゲームであるなら
自分の予測精度は100人中5位以内では不安だから
せめて3番くらいには入っているなという確証が欲しい
 
つまりだ
何をいいたいかと言うと
予測が当たるか当たらないかではなくて
自分の予測の力がゲーム参加者の中で、何番目にあたり
何番目まで勝ち残れるか
それがきちんとわかっていれば
その予測で戦っていいのである
自分の予測がいかにへぼでも、相手がもっとへぼなら
それで勝てるのである
 
さて100人でも複雑だが
これが100万人となったらどうしよう?
もちろん100万人中
185632番です、なんてわかりっこないが
これは実は100人と変わらんと思う
100万人いるなら、上位3万番くらいに居ればまず安泰だろうと思う
 
さてそれからだが
実際に予測するとして
いろんな予測がある
来年はうるう年である、としよう
これは100%当たる
ところが、それを意識しているのはどういうわけか
あなただけで、みんなすっかり忘れていたらどうであろう?
誰かが調べるか思い出すまで
あなただけが、正確に来年はうるう年であると予測できた
とほかの人間からは見える
これは予測するものには当たり前のことでも
それがまったく見えていない人間がいる可能性もあるということだ
ここでは来年がうるう年であるという予測?より
それを皆が意識していないという事実認識のほうが、重要なんである。
そこで初めて勝つ理由が生じてくる
来年はうるう年であるということを知っているだけでは勝てなくて
来年はうるう年であることを、すっかり忘れている連中がきちんと見えているかいないかで勝ち負けが決まってくる
 
わたしも株式投資で予測をしてきたが、厳密に言うと予測ではない
例えばだ
ある会社があるとしよう
その会社は海外に進出していて輸出型企業だと広く思われている
ところが、その会社の経営者は数年前から会社のビジネス構造の
変革に取り組み、輸入比率、輸出比率、さらに金融収支のベストバランス
で、ほとんど為替の影響を受けない利益構造を確立した
それは年次報告書に詳しく書いてある
さて、とんでもない円高が来た
輸出型企業は皆売られた
円高が長くつづき、輸出型企業の株価は激しく落ち込んでいる
その会社も激しく売られた
だが、来たるべき決算発表ではほとんど利益が落ち込んでいないと
発表される。そこで初めて多くの投資家が気づく
というか、最初からきちんと勉強していれば当り前のことを
ろくに勉強もせずに売り買いしていたというだけなのだ
さてこれを予測と言うべきかどうか?
でも、負けた人間からすると
それで勝っている人間は予測したように見えるんでろう
 
以上のような簡単な事例はあまりないだろうが
これが、多くの技術特許とか法規制とか
それもグローバルレベルの情報で
かつ外国語で書かれていたら
勉強している投資家なんてほとんどいないのである
 
では知っている人間が勝てるかと、すでに書いたようにそうではない
知識を持っているだけでは勝てない
世間の人がどう考えて、どう動いているか
それがイメージできている必要がある
 
さて、まだまだ書いてもいいが
用事ででかける
今日は本当は休みなんだが
行かないといけない
ただ働きだ
別に納得していて自分で入れた予定だからそれでいいのだが
 
 
 
 
 
 
 
 
関連記事

Comments 0

There are no comments yet.

コメント投稿

Trackbacks 0

Click to send a trackback(FC2 User)
この記事へのトラックバック
更新順
同カテゴリ