FACEBOOKの嘘っぽさ
2018年12月30日
一方FACEBOOKは実名で身分を明らかにしている。だから逆に優等生みたいな敵を作らない発信ばかりが目について皆様のお陰ですとか感謝しますとか、そんなもの口に出さんでもいいようなことだけど、まあ当たり障りがないというのとそれと営業目的の匂いがプンプンとする発信も多い。
なんか不穏当な発信で災いでも降りかからないようにというこれは意図していても意図していなくても、そういう思慮分別がなされている。つまり発信する時点で自己規制がかかっているという意味で嘘っぽいってわたしは言うわけ。
だいたいね、わたしの周りを見渡すとFACEBOOKやってる人間はまあ社会的な立場もあってそれなりに順調な人たちばかりですよ。いまだに独り身でコンビニ弁当で缶酎ハイとかそんな奴もいるはずだと思うけど、「やってられねえよ」なんてまずFACEBOOKとかでやらないでしょ。一時羽振りが良かったけど今は事業に失敗してとか、あるいはリストラされてとかで、そんでなんとか日雇いで食いつないでいるとか、そんなの実名で発信する気にはそれはならないよね。
そうなってくるとFACEBOOKてのは発信する人間がまずふるいにかかっていて、そんで発信内容も自己規制がかかっているってわけだから、つまり良い子の建前発信がFACEBOOKだろうなんてわたしは思うのだけど、それはそれなりに成功者だから、普通に書いても自慢ぽくなる側面てのはあって、まあ心の中で自慢したいって人もたぶんけっこういるはずで、でもそこは良い子の自己規制で、あまり嫌味にしないようになんか工夫していると言うか抑えているてのが逆にそれもよく見えてわたしはなんかスカッとせんわけ。
それで実はわたしはFACEBOOKでもけっこう発信してるんだけど、基本的にこのブログのトーン踏襲で気持ちよく自慢をしてるわけ。自慢てのはこうやってやるんだぞてなもんですよ。たぶんかなりの人間がなんだこの野郎とか思ってるだろうけど、謹んで「ざまあみろ」ですね。こちとらは良い子じゃないからね。まあたぶん面白いと思ってる人間も一定数はいるから、どっちにせよこのブログと同様に面白おかしく読む人は読むんだろうね。
みな子供の頃を思い出したら良いけど、わたしは児童養護施設で子供達と接して再認識したけど、小さな子どもは昔も今も自慢が大好きですよ。「ねえ見てみて」、「ねえすごいでしょ」、自然に胸を張るのが子供らしい所作。それが成長するに従って自慢はみっともないとか自慢を聞かされる人の気持ちも考えなさいとか、つまり大人の分別と称する災いをさけようという防御テクニック。それを身につけてそれができないと顰蹙を買う羽目になる。
その大人の思慮分別がFACEBOOKで集まっているとしたら、わたしなんか、そんな良い子にして身も心も減らさんでもこんなご機嫌で自由な生き方もあるんだぞって、それがわたしの発信なんだよね。まあブログでも同じ趣旨なんだけど、ずっとこうやって生きてきてハッピーの極致ですよ。わたしは。え、なに? そんな自分の境遇に感謝しなさい? 君に言われたくないよ。だいたい感謝してるって言う人間がどれほど感謝しているか怪しい怪しい。逆に感謝してるなら素直に喜べばいいじゃないかね?わたしみたいに。
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