暴落はいつか必ず来る

2018年12月01日
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株式投資
暴落はいつか必ず来る。これに反論する人はいないだろう。ただいつかはわからない。その規模もわからない。バブル崩壊やリーマンショック級の大暴落も数十年というスパンで見ればまずあるだろうと言えそうだ。過去を見れば10年に一回くらいはある。

暴落はチャンスだと言う人がいて、その人は普段から積極的にポジションを取っているけど資金全体から見ればポジションは大きくないので暴落となったら大きく買いに出る作戦だ。下落で損した分以上に儲けることができるから暴落は怖くないと言い切る。だがそれも反転するのが前提の話である。大きく買いに出てさらに下がったらどうする? もっと大きく買いに行く?

自分の資金繰りと下落との競争である。怖くないと言ってもその方法では想定を大きく超える下落には対処できない。想定に余裕を持たせるしかない。バブル崩壊の時の下落率は50%くらいだったらしい。リーマンショックの時は40%下がった。リーマンショックの時に日経平均が7000円まで下がった。その時に耐え切った人間でももしもそのまま日経平均が下がって5000円まで行ったらどうだったであろうか? ほとんどやられてしまっただろう。むしろ早めに退場した方が怪我が少なくてすんだくらいかもしれない。

結局津波と堤防の高さの関係である。堤防で津波をこらえようとすれば高くするしかない。どれだけ高くしても超えられたらアウトである。これが津波側に立つと話は変わってくる。津波に乗って岸に押し寄せればまさに無敵である。だがいつくるかわからないものを期待することで逆にやられてしまう人間もいることになる。株は買いなら塩漬けできる。10年じっと持っていてもいい。だが売りだと10年じっと売っていたらずいぶんと金がかかる。それと他にやることあるんじゃないのって話になる。

堤防にも津波にもならないという考えもある。中国の楚という国の人の「株を守る」という話をわたしはこのブログで10年くらい前に書いている。読まれた人で記憶にある人はいるだろうか? 我ながらうまいことを言うなと自分で感心する。視点もユニークである。まあ手短に言うと津波を待つのと似てるけどその待ち方の話である。金もないのに働かずに株を守ればそれはバカである。でも金はすで持っていて碁でも打ちながら株のそばで日向ぼっこなでもしていると話は変わってくる。先日書いた大ワニは来るかこないかわからないバファッローを静かに待ち受けているのである。それで餓えない。

株を趣味として嗜む人はたくさんいて、それはゲームとして楽しいのであるからいくらでもやれば良いと思う。ネットで株談義をする人の大多数は株が好きでそしてやっていて楽しい、止められない、だろう。これは玄人という領域になっても同じでむしろ好きで好きでたまらないくらいでないと成功は望みにくいという面もあると思う。

ただ好きでもないのに株を蓄財の道具として考えてその道具で成功を出せる人は滅多にいない。わたしは株はそんな面白いとは思わない。ゲームという意味では目の前で走る競輪の方がずっと興味深い。株は儲かるからやっただけある。儲かるかもじゃやる気もしなかっただろう。

でも面白い人には面白いんだろうが、いくら趣味とは言え蓄財の道具くらいリターンを期待するとそれは趣味の領域から逸脱することになる。趣味ではすまないくらいの手痛い目にあうリスクも高まる。趣味なら趣味としての金のかけ方があるだろう。

ここから先にわたしが書くことはあるのだけど今日は書かないで良い気がしている。仕事をしていてもそれからいろんな文章をやりとりをプライベートでしていても、言うこと書いていることが人にそのまま伝わることはそんなない。別に伝えたいからここで何か書いているわけではないのでそれで良いのである。読む人は自分の心を投影させて読むわけだから。ましてや欲の皮の張った相場好きの人間に言いたいことなどもともとないのである。



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