あの時あそこで

2018年11月30日
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人生の考え方
さて、相場を張る人間というのは幸せだろうか? これは当たり前だけどいろいろである。でもざっと眺めてみたら相場を張る人間の幸福感はそれほど高くなく、むしろ低いんじゃないかしらってわたしなど感じる。やはり負ける人間がほとんどで、勝っても知れてるってのが多い。これくらい勝てば文句はないてくらい勝てる人なんてそれこそほんのわずかのわけだ。なんだかんだと身をすり減らせて頭も時間も使って、それで実はけっこうストレスを抱え込んで、サラリーマンよりストレスフルかもしれない。給料の代わりに追証じゃたまらない。でも各人の相場の動機は幸せなんだよね。稼げば幸せになれそうだって思うから稼ぎたいわけでしょ。皮肉なもんだなって思う。やらなきゃいいのにっていつもの独白になっちゃう。


あの時こうすれば良かったとか、あの時こんな目にあっちゃたからとか、そういうことを言う人っていますね。もっと良いはずだったのにそれを逃したとかってことみたいだけど、逆かもしれないって思わないのかしら? そっちに行ったらよけい酷い目にあってたかもしれないって、、少なくともやってないんだから、どう思ってもそれは自分の心からしか出てこない。たぶん現在の自分に不平不満があるのかもしれないけど、過去は変えられない。だったら良かったって思えばいいんじゃないかしら。

私なんかなんでもおかげさまで今のわたしがあるって思う。もしわたしがもっと良い家庭に育って親の金で良い大学に言って一流企業にでも就職してたら、今よりもっと良い暮らしができたとは到底思えない。たぶんろくな目にあってないって気がするくらい。もちろんそれはやってないからわからないけど、あの時どうだったらって言うのは、やはりそんなこと自分が作者だったら主人公に言わせられるセリフじゃないてのがある。そんなこと考えるのは格好悪いって、わたしはそう思う。

運が悪かったのさってセリフもわたしは嫌いだ。つまり自分ではよくやったけど運が悪いのでうまくいかなかったと言いたいわけだろうけど、運が悪くてもうまく行くようにしないと。と言うか運の悪さということは最悪のケースだと思うけどそのあたりの見通しが甘いってことじゃないかしら。誰もそんなこと予測できないよな、でもそんな予測できないことを、ひょっとしてと待ち構えている輩もこの世にはいるんだよね。
つまりね。予測は誰もできないから予測できないような事態になったら儲かるように態勢を作るわけ。

アフリカかだかどこかの巨大ワニてのは一年一度しか食事をしないそうである。川にハマる間抜けなバッファローをずっと一年がかりで待っている。その間体力を温存してじっと大人しくしている。そんでいざという時にドバーッて。凄いよね。勝負師もかくありたいって気がする。


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No title

こんにちは。最後のワニの例がハルトモさんの勝負哲学のイメージなのかしらと感じました。ちなみに私は逆に小さい勝ちを無数に繰り返したいタイプです。まあ、待てないんですね。金魚って餌をたくさん与えると死ぬまで食べ続けるって聞いたような気がします。

2018/12/01 (Sat) 10:22

ハルトモ  

No title

> 竹井さん
好きとか好きでないって話はありますけど、株の場合はわたしにとって勝とうと思えばそれしかないのです。

言うならワニは己を知っているということです。ワニが毎日餌を求めてかけずり回ったらすぐにお陀仏でしょうし、一方金魚がじっと動かずにいたら他の金魚に餌を取られて衰弱するでしょう。

竹井さんは金魚なんですか? 己は何者か?そこが1番の問題ですよね

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