お金と幸せ
2018年11月29日
貧乏と不幸せというのはとても相性がよくて、言うならセット販売の対象です。負のスパイラルととか言ってお互いを加速しあう。仲が良いわけです。一方裕福と幸せとは、これは個別商品でセット販売になりにくい。まあ別にセットになっていなくても一向に構わないわけで、それぞれ買えば(=手に入れれば)いいだけのことです。それがセットだと思うといろいろ勘違いになってきます。
お金がないといろいろ不便ですよ。それは経験すればわかる。一方お金があるとなにかと便利です。これも経験すればわかる。じゃあ不便だと不幸せで、便利だと幸せかということはこれは誰でも違うと思うでしょ。便利さをあまりに追い求めすぎだ、なんて理屈もよく聞く。
世の中にはお金に限らずにいろんな不便があって、その不便を乗り越えてというか気にせず幸せに生きるのが人生で、なんの不便さもない人なんていません。でも不便だと不幸せだと感じる人は実際たくさんいることはわたしも承知しています。その理由はまったく自分の心の中にありますね。わかりやすい言葉で言うと、欲とか。欲深いとどんなに便利でも有り難みを感じずもっともっとになる。
ここで勘違いしやすいのは、もっともっとといろいろ目指すのは良いことなんです。でも不満のはけ口で欲をエンジンにして目指すんじゃなくて、今も楽しいけどもっと楽しいこともあるかも、という言うならそれこそ人生を楽しく生きている。これが幸せだとわたしはここでなんども申し上げてきているのです。
さて自分が仮に欲深いかもとする。欲は良くない。抑えよう。これでは話は収まりません。なぜ欲深いかを真面目に考えないといけない。欲というのは己の実際と己の自己評価とのアンマッチだとわたしは思ってます。自分が思うほどには世の中の人が自分を見ていないということにもなります。他人の方がそれも母数を増やせば概ね自分で自分を見るより客観的なものです。
自分の不平不満を熱心に語っても、他人の不平不満を聞いて同じくらい熱心にはなれないものです。その差がそのまま欲の深さになるのです。ということで自分の分をわきまえるとか、己を知るという話になっていくわけですけど、何度も言っていると思いますけど、諦めからくる己を知るではなく、自分で自分を客観的に見るということです。まあ別に客観的でなくても構いません。欲しいのは良質な別の視点です。
小説の主人公のように生きたいとわたしはそう考えて実際生きています。作者はわたし自身です。主人公はどう思うかもあるけど作者の視点から見たらここはこうだよな、とそれが作者の力量があるといろんな要素が絡み合っても物語は最後見事に収束していきます。なんでこんなことをするんだろうと読者が思っても、読み進むと、なるほど、そう繋がってくるのか、って得心する。それが良い小説です。
みなさんも自分で自分の小説を書いたらよろしいと思います。そして自ら読むに耐えうる人生を歩むことです。そうすると少し自分の見方が変わってくると思います。平たく言うなら、自分なんか大したことはないのですよ。でも時々凄いぞ。この自分の凄さもちゃんと大切にしたいものです。作者なんですからそれは。
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