捕食者
2018年11月15日
カミさんは一足先にさいたまに戻った。2日だけの一人暮らし。旅でも別荘でも暖かい家庭があってのことだと私は感謝している。独身ならあるいは家庭が暖かくないなら、それなりに楽しくやってくださいとしか言いようがないが。
那須には居心地がよいカフェがいくつもあるが、その中でもSHOZO CAFEは一番の人気である。ここのコーヒーは美味しいし食べるものもメニューは少ないけど丁寧に作られている。前の記事の写真の再掲だけどこのサンドイッチの卵が美味しくてカミさんが気に入った。こういう店に2ー3時間でもいて本でも読むかあるいはテキストでも打つかすると極上な時間かとは思うけど、時期によりそれを気分的に邪魔するものがあって、それは観光客のひっきりなしの往来である。でも観光地にあるのだからそれは無理もない。それで成り立っている店なんである。空いている時に行くととても良いと思う。特に冬は楽しみである。
マンションの敷地内はとても広いので周回的にランニングしてもいいのだけど、今日はお気に入りのパン屋までランニングをすることにした。片道3キロで往復6キロ。丁度良い。半袖で走り出すがすぐに身体が温まる。店に着くと、店員さんが、えって顔で見る。半袖シャツだから驚いたみたいだ。年齢を聞かれもしないのに告げたらもっと驚いていた。
たくさんパンが並んでいるけど
私のお気に入りはコレ!
店で食べると流石に身体が冷えるのでそのまま走って部屋に戻る。帰り道にスーパーに寄って野菜を買う。レタスの小玉が50円の半額で25円、その先にカットレタスが袋詰めで洗わないでそのまま食べれますと、それが99円の半額で49円。どっちにしようか迷ったがカット野菜を買う。部屋に戻ってまずは温泉。朝風呂も入っているので本日二回目の温泉。
それからパンをいただくわけだが、部屋の外には森の景色が広がる。ゆったりとブランチにする。ミュージックはオールディーズがいい。
https://www.youtube.com/watch?v=XNp-kKBmLo0
こんなのね。
くつろいで、それで先日買った本を読む。子どもの教育論の本である。270ページだけど1時間半くらいで読了。この人の文章は初めて読んだけどわたしは好きになれない。まあ好みの話である。それでも特に引用部分は目新しい話もあり、読みながら自分の子育てのことを考えた。わたしの子育ては我ながら納得がいく気がする。そう自分の子どもが書いた文章を読んで確信したのを思い出す。書いたものはその人を語る。
わたしは子どもに勉強だなんだで褒美を一切出さない人間である。わたしはそれが当たり前のことだと思う。それで励みになればという理屈は私は取らない。励みにしてはいけないと思う。親の期待を子供に具現化することで子供は自らのアデンティティを失う。その代わり取引なしによく遊び時間を共有した。結局子育てというのは無条件に時間を子どもに捧げることだと私は思う。
カスタマーであることに慣れた子供は教育さえも自分の近視眼的な視点で損得を判断する。子どもと取引するのが教育の現場だと筆者は専門家から聞いてくる。消費者であることに慣れた子供はなにかするのにメリットを要求する。それが勉強であろうとなんであろうと。筆者はその弊害を説いている。まあ何を言おうが自分の子どものことであれば大人になればわかることである。
午後3時間だけアルバイトしてそれで部屋に戻ると4時半、ゆっくりとまた温泉。よく入る! それで部屋に戻り大相撲中継を見ようとテレビのスイッチを入れる。どうやら稀勢の里は休場。なんかそれを知ってほっとした。まあとことん負け続けるのも一興かとも思うけど本当にケガなら仕方ない。
夕食は例の200円の賄い弁当。それを持って帰ってスーパーで惣菜を買い足して晩酌しながら、アマゾンプライムでドキュメンタリーを見ながらこんなブログを書いている。野生動物の狩のドキュメンタリーだけど、こういうのは株式投資にも役立つような気がする。何故かってのは説明する気になれないけど、まあ興味深いのである。それにしても人間は、同じ人間を狩るという意味で最低最悪の捕食者だとつくづく思う。だって必要以上にあるいは楽しみで捕食するのは人間だけなんである。その業の深さを知る者が本物の捕食だと私はそう思う。
那須には居心地がよいカフェがいくつもあるが、その中でもSHOZO CAFEは一番の人気である。ここのコーヒーは美味しいし食べるものもメニューは少ないけど丁寧に作られている。前の記事の写真の再掲だけどこのサンドイッチの卵が美味しくてカミさんが気に入った。こういう店に2ー3時間でもいて本でも読むかあるいはテキストでも打つかすると極上な時間かとは思うけど、時期によりそれを気分的に邪魔するものがあって、それは観光客のひっきりなしの往来である。でも観光地にあるのだからそれは無理もない。それで成り立っている店なんである。空いている時に行くととても良いと思う。特に冬は楽しみである。
マンションの敷地内はとても広いので周回的にランニングしてもいいのだけど、今日はお気に入りのパン屋までランニングをすることにした。片道3キロで往復6キロ。丁度良い。半袖で走り出すがすぐに身体が温まる。店に着くと、店員さんが、えって顔で見る。半袖シャツだから驚いたみたいだ。年齢を聞かれもしないのに告げたらもっと驚いていた。
たくさんパンが並んでいるけど
私のお気に入りはコレ!
店で食べると流石に身体が冷えるのでそのまま走って部屋に戻る。帰り道にスーパーに寄って野菜を買う。レタスの小玉が50円の半額で25円、その先にカットレタスが袋詰めで洗わないでそのまま食べれますと、それが99円の半額で49円。どっちにしようか迷ったがカット野菜を買う。部屋に戻ってまずは温泉。朝風呂も入っているので本日二回目の温泉。
それからパンをいただくわけだが、部屋の外には森の景色が広がる。ゆったりとブランチにする。ミュージックはオールディーズがいい。
https://www.youtube.com/watch?v=XNp-kKBmLo0
こんなのね。
くつろいで、それで先日買った本を読む。子どもの教育論の本である。270ページだけど1時間半くらいで読了。この人の文章は初めて読んだけどわたしは好きになれない。まあ好みの話である。それでも特に引用部分は目新しい話もあり、読みながら自分の子育てのことを考えた。わたしの子育ては我ながら納得がいく気がする。そう自分の子どもが書いた文章を読んで確信したのを思い出す。書いたものはその人を語る。
わたしは子どもに勉強だなんだで褒美を一切出さない人間である。わたしはそれが当たり前のことだと思う。それで励みになればという理屈は私は取らない。励みにしてはいけないと思う。親の期待を子供に具現化することで子供は自らのアデンティティを失う。その代わり取引なしによく遊び時間を共有した。結局子育てというのは無条件に時間を子どもに捧げることだと私は思う。
カスタマーであることに慣れた子供は教育さえも自分の近視眼的な視点で損得を判断する。子どもと取引するのが教育の現場だと筆者は専門家から聞いてくる。消費者であることに慣れた子供はなにかするのにメリットを要求する。それが勉強であろうとなんであろうと。筆者はその弊害を説いている。まあ何を言おうが自分の子どものことであれば大人になればわかることである。
午後3時間だけアルバイトしてそれで部屋に戻ると4時半、ゆっくりとまた温泉。よく入る! それで部屋に戻り大相撲中継を見ようとテレビのスイッチを入れる。どうやら稀勢の里は休場。なんかそれを知ってほっとした。まあとことん負け続けるのも一興かとも思うけど本当にケガなら仕方ない。
夕食は例の200円の賄い弁当。それを持って帰ってスーパーで惣菜を買い足して晩酌しながら、アマゾンプライムでドキュメンタリーを見ながらこんなブログを書いている。野生動物の狩のドキュメンタリーだけど、こういうのは株式投資にも役立つような気がする。何故かってのは説明する気になれないけど、まあ興味深いのである。それにしても人間は、同じ人間を狩るという意味で最低最悪の捕食者だとつくづく思う。だって必要以上にあるいは楽しみで捕食するのは人間だけなんである。その業の深さを知る者が本物の捕食だと私はそう思う。
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