阿佐田哲也とわたし

2018年11月10日
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株式投資
阿佐田哲也(敬称略)の著作はたぶん全部読んでいると思う。別名の色川武大もたぶん全部読んでいる。物故作家の場合全部読んでしまうともうないというのが残念である。池波正太郎とか司馬遼太郎などとても残念だ。池波と司馬遼はどっちも面白いけど池波の方が人間的で好きである。司馬遼太郎は性描写が全くない。池波はけっこうある。別に池波の性描写を読みたいわけじゃないけど何もないのは人間だから不自然。それを人生観を描き切る筆力で補っていたのが司馬遼ということかと思う。それで阿佐田哲也だけどこの人も全く性描写を書かない。(と思う。調べたわけじゃないけど読んだ記憶がない。まあ刺激的でないのはあるかもしれないけど、いずれにせよ全部読んで記憶にないのだからやはり避けていたとは思う。)阿佐田哲也が性描写を書かないのはたぶん不得手だったというのはあろうかと思うけど、ありきたりの性描写をしてしまうと登場する無頼漢が普通の人間になってしまい読者の共感を呼びかねない。阿佐田哲也の著作に出てくる無頼漢たちは読者の憧れを呼ぶとしても共感を拒絶する存在である。ページの中からお前には真似できまいと気迫横溢とする。まさにやさぐれで生きる無頼漢。それが読者の琴線を揺さぶる。(まあドサ健に相応しい性描写もあり得るとは思うがマニアックな団鬼六ばりになるかはたまた今度は読者の反感を招きかねないだろう。)

読者はなぜ無頼漢に憧れるか? 阿佐田哲也の小説に出てくる無頼漢にはある共通の特徴がある。それは何かを得てその代わり何かを失っていることである。何かを失い代わりに何かを得るもある。 これは阿佐田哲也の人生観である。彼が書く人物には全てを得る満点人生は出てこないし、逆になんでも失うゼロ点人生も出てこない。人生は光と影、だからこそ人は光り輝くとたぶん阿佐田哲也は考えていた。読者は無頼漢としての暮らしぶりに憧れるわけではない。現実的に荒唐無稽でもある。だがドサ健が捨てたものには憧れを感じる。それは他人からの賞賛だったり、人と人との気持ちの通い合いだったり、あるいは明るい家庭という人並みの幸せだったり、およそ社会の人がしゃかりきになって追い求める幸福のステレオタイプをすべて捨てている。読者が普段隠している、「社会の歯車になりたくない」「面倒なものいっそ捨ててしまいたい」その他諸々の良い子でいるのをやめたくなる衝動を作中の無頼漢は刺激するのである。だがそこでドサ健は笑う。「お前さんには真似できまい、良い子は大人しく頭を低くして生きてな。」そしてその通りほとんどの読者は頭を低くして大人しく生きざるを得ないのである。まあこれは仕方ない。そんな実力ある人間など滅多にいないしまたドサ健が捨てたものを実際に捨てることもできない。だからこその娯楽小説である。読んでいるときだけストレス発散できればそれでよしであろう。

わたし自身もかつてはドサ健のような無頼漢に憧れていた。競輪の車券師をしていた時など無頼漢を気取っていた時期もある。だが無頼漢の実生活は意外と地味である。これは小説には出てこない。博打で格好良く相手を打ち負かす場面などは現実にはない。そもそもプロはプロを避ける。弱い素人を見つけてカモにしてそしてただカモを食うではすまない。カモのご機嫌取りをして長く付き合ってもらわねばならないから営業マンでもある。結局サラリーマンがするご機嫌取りをカモにしている。カモから嫌われたら生きていけない。だから実態はそんな変わらない。競輪はそれがないだけ気楽だがかわりに25%という強大なテラ銭がいる。車検師は素人が想像もつかないくらい真面目に観察と分析に労力を割く。わたしもやった。大阪の森ノ宮に競輪新聞の印刷所がある。そこに夜のうちに行って刷りたての競輪新聞を何紙も買い、そしてほぼ徹夜で検討、朝から競輪場に向かいそして10レースのうち勝負は1レースか2レース、何も買わない日もある。あとは観察と記録に費やしその後の勝負への蓄積とする。やってみると、これは真面目に一軒一軒得意先を回って販路を拡大すべく営業マンとして働いているのと変わらない。その割に稼ぎは知れている。大金持ちなんて絶対無理だ。いやむしろ危険である。競輪もゲームの中身を見れば常に変化していてそこはサラリーマンのように毎日同じでは置いていかれる。必死に食らいついてようやく食っていけるかどうか、、実際ドサ健もその他の登場人物も激しく戦っているわりにそんな派手な暮らしをしている記述は見かけない。

男はつらいよではない、無頼漢はつらいよ、である。そこでわたしは競輪からすっぱりと足を洗うことにした。そして同時期に体質の古い純日本的な会社を退職して、外資系の企業に転職する。そこなら一山ありそうな予感がしたしとにかく日本企業ではたかが知れているという閉塞感があった。そして30代になるとやはり自分はドサ健が捨てたもののいくつかは大切なものだと考えるようにもなっていた。外資系企業で上級職になれば軽く日本企業の倍くらいは稼げそうだ。それも実績次第でごぼう抜きで。その会社での出来事はずいぶんとこのブログでも書いたのだがあいにく消してしまった。ただその会社で上司が紹介してくれた一冊の本がわたしの人生観を変えることになったから、それはとても良い偶然であった。それは中村天風師。師の著作に触れてこれだとはっきりとイメージができた。人生は壮大で可能性は無限である。何かを得るかわりに何かを失うというのはこれは既成概念であり先入観である。と言うか人生そのものが夢でありゲームである。生き方程度いくらでも上手くやりようはある。全てを失う馬鹿も多いこの世なんである。転職した企業ではいろいろあったがそこまでここで書くとキリがない。古い読者ならご存知だろうし今でもどこかに残っているかもしれない。わたしは会社で成功の道に突き進むと同時に、業界の専門家として企業を見てそこで株式投資に生かせそうだとチャンスを伺うようになる。結局わたしはドサ健的な振る舞いと気分を持ち、かつ彼が失ったものも何一つ失わいで欲しいものは手にいれた。これはある意味阿佐田哲也への挑戦でもあった。わたしは処世術という意味で彼の人生観を凌駕したと思う。ただ残念なことというか当たり前だと思うが文章力では彼に到底及ばない。直木賞をとった離婚とかあるいはギャンブル小説でも彼のラストシーンの鮮やかさにいつも瞠目させられた。たぶん人生あまりうまく行ってしまうと自慢ばかりで奥行きのあるラストは書きにくい気がする。光と影がない。全部日当たり良しとなる。

もしもわたしが何か失ったとしたら、それは人生の影かもしれない。そうだろうって、阿佐田哲也が墓場で笑うかな? でもわたしのブログらしく最後も自慢的反論で終わろう。阿佐田哲也氏は今のわたしと同い年60歳で亡くなっている。年に不足はないとたぶん彼は思ったかもしれないが、死ねば変化も成長もない。わたしはまだまだ発展途上である。まだまだ先は長いのである。彼は晩年にいくつか駄作を書いた。わたしは逆にしたい。10年後のわたしはもっと素晴らしい文章を書いているかも。。。でもねえ、このブログを読み返しても10年前とほとんど文章力は変わってないね。書くスピードだけは数倍に上がったけど。自慢にも反論になってないか。

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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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Comments 9

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内山直  

No title

>物故作家の場合全部読んでしまうともうないというのが残念である。
色川武大との思い出を描いた、伊集院静著「いねむり先生」は読まれましたか? おもしろかったですよ!
私もそういった世界に憧れて、一時期、地元の弥彦競輪場に通いました。柄ではないことがわかり、すぐに止めましたが(苦笑)。

2018/11/11 (Sun) 10:43

ハルトモ  

No title

> 内山直さん
弥彦競輪場は日本一美しい競輪場と言われてますよね。わたしも一度行きましたがバックに弥彦神社の森が見えたような記憶があります。

伊集院氏はギャンブル好きで有名ですがわたしは無頼漢とは違う上品な感じが気に食わなくて食わず嫌いです。今度読んでみましょうか。

2018/11/11 (Sun) 21:09

内山直  

No title

バックに神社の森が見えます! でも、弥彦競輪場が美しさで定評があることは知りませんでした。
最近はすっかり国民的作家になってしまいましたが、僕は若い頃の伊集院氏こそが無頼漢という言葉に合致します。
確かにダンディな側面もあるので、そこがハルトモさんには上品過ぎるように映るのかもしれませんが・・・。
もしお時間がありましたら、「二日酔い主義傑作選 銀座の花売り娘 (文春文庫) 」なんか、いいですよ!
この頃の彼のエッセイはすべて持っていますが(今はやりの『大人の流儀』よりずっと好きです)、残念ながらほぼ絶版で、傑作選なんぞが出るようになりました。
パラパラ頁をめくっていたら、懐かしさが込み上げてきたので、明日、関連記事を書いてみます!
今後ともよろしくお願いいたします。

2018/11/11 (Sun) 22:44

itu**mit*kes*ki  

No title

こんにちは。
私は「うらおもて人生録」の猫の兄弟のお話が大好きです。

もし「いねむり先生」をお読みになる機会があれば、合わせて「なぎさホテル」を読まれることをおすすめいたします。

ハルトモさんが、3.11の直後、東北に住むお母さまもところに出かけたお話を読ませていただいたときに、まるで伊集院氏の「お父やんとおじさん」のようだわ!!と思ったことがありました。

こちらも、機会があれば是非お読みくださいませ。

2018/11/12 (Mon) 14:58

内山直  

No title

「野良猫の兄弟」ですね。いいですよねえ。
確かにハルトモさんが震災後にされたことは、ほとんど「お父やんとおじさん」の世界ですね。
なんて、ハルトモさんの頭越しにレスポンスして、失礼しました!

2018/11/12 (Mon) 19:41

ハルトモ  

No title

> itu**mit*kes*kiさん
うらおもて人生録はもちろん読んでますが内容はほとんど覚えていません。猫の兄弟?てのはどんな話でしたか? 納戸の書棚にあるかもしれません。探してみます。

ブログを移転してまた戻してずいぶん消えてしまったのは今にして思えば残念です。あの当時ヤフブログは耐えられないくらい重かったのです。震災直後のブログ記事もほとんど残っていません。

あの当時わたしのブログをリアルタイムで読まれていた方でしょうか? お父やんとおじさんも読んでないかわわかりませんが、わたしは自分が本の主人公のようなつもりで生きています。読み物にして読むに耐えうる人生です。

2018/11/12 (Mon) 21:16

ハルトモ  

No title

> 内山直さん
わかりました。食わず嫌いと言っても昔の話です。そのうち読んで見ます。

2018/11/12 (Mon) 21:17

-  

No title

こんにちわ。今、黄金の腕を読み終えたところです。その直後に偶然、この記事を読ませて頂いたこともあって書き込みさせて頂きます。私も阿佐田氏の小説や随筆はほとんど読んだと思ってます。名作揃いの中であえてナンバーワンを?ってなると、私はこの黄金の腕を挙げます。
氏の文章の中で、レートに関する記述がたびたび出てきます。レートは経済状況ではなく、腕で決まるって言ってますよね。その究極の形が、この黄金の腕かと。
もうこの作家の新作が読めないのは残念ですが、ある意味ホッとしているところもあります。中二の夏に麻雀放浪記を読んでしまって、少し考え方に影響を受け過ぎたかもしれないので。。。

2018/11/17 (Sat) 16:47

ハルトモ  

No title

私は人生かなり影響を受けてますよ。良いとこだけ哲さんからいただきました。

黄金の腕というのは確か長編じゃないですよね?私は彼の作品は長編が好きです。特にラストがいい。なんだか忘れましたが大阪からキセルで帰ってきてそれで最後改札を突破して終わるラストは良かった。それと麻雀じゃなくて手本引きとかを扱っている方がギャンブルの本質に触れている気がします。なんて本だったか全然思い出せませんけど。

2018/11/17 (Sat) 17:55

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