やはりセンスが大きいかな
2018年11月07日
わたしは株式投資を上手くなりたいなんて考えたことは一度もない。別に上手くなくてもいいから勝てば良い。でもただ勝ちたい勝ちたいだけだとどこかでひっくり返りますよとか言われたこともある。もちろんひっくり返らないようにやってますよ、たぶんそうアドバイスする人間より。ただ上手いからってのとは違うと思う。
上手いってことは上手いって誰かから言ってもらう必要がありそうだ。自分でも上手くなったなとか思わにゃいけない。つまりそれはなんかあるやり方を真似て習熟するってことなのかしら?そうだとして上手いって褒められてそれで嬉しいのかしら?
人間てのは上手くやろうとか思った時点ですでに奢っているて気が私はする。なんと言うか綺麗に勝ちたい? 綺麗に勝つ人間は継続的に勝ち続ける? なんか違うと思う。相場を囲碁や将棋とかあるいはスポーツと同じだと思ってんのかしら? だとしたら凄いスポーツだよね。負けて自殺する人間もでるスポーツ。それもプロでもないのに。どんなスポーツでも、アマチュアが負けて電車に身を投げる、なんて他にはないね。
つまりスポーツぽいところもあるから勘違いしやすいってことかもしれない。確かにそうも見えそうだ。でも本質は違うってわたしは思っている。スポーツよりもっと下世話な、喧嘩それも汚い奴が勝つ。負けたら自殺者がでるところで自分が勝ちたいってことは、極論すれば自分のせいで誰かが死んでも構わないってことだよね。もっともそうはストレートに繋がりは実感できないけどそういう業の深いことをしているって言う自覚はこれは感じるべきだってわたしは思っている。
少なくともわたしが儲けたお金は誰かが損したお金。だから自分の生き方とかお金の使い方とか、それも含めて相場だと思っている。それでやはり無用な殺生はしたくないから要るだけ稼げばそこからはガツガツやらんで良いとも思う。
ここまで書いたことと、それと相場でまとまったお金を手に入れる人間はめちゃくちゃ少ないわけだから、その事実からして、やはりセンス(あるいは運)がないと勝てないとわたしは思う。誰でも努力すれば勝てるもんじゃない。いくら努力してもほとんどは負ける。
もちろん努力して勝つ人もいる。自分では努力を強調するかもしれないけどそこはやはりセンスじゃないかな。センスがあって努力したから勝ったってこと。ハルトモ はどうだと言うとまあ相場では努力をしてないけど、なんかそこは持ってたんだろうね。他の一芸も相場で生きるって気もする。
てことでいくらかやって芽が出ないなら、そんで相場が好きで好きでたまらない、やめられないっていうのでなきゃ、見切りをつけて他の道を目指すほうがいいんじゃないかしら? 要は儲かればいいって人がほとんどでしょ。だから他で儲ければいいわけだ。別に相場でなくなってなんでもいい。自分の才能を活かせばいいわけだ。なんの才能もないってことならそれは相場は一番きついからやっぱ止めたほうがいいだろうね。
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