知識と経験

2018年11月05日
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人生の考え方
人間というのは経験を積めば積むほど経験を重んじるようになる。「机上の知識では実戦では機能しない。自分で何度も痛い思いをして体に叩き込むのだ。」なんて聞くとわたしは大昔の根性論を聞く思いがする。経験から導き出されるものは私的体験をベースにした固定観念である可能性も相当ある。各人皆同一の経験を積むわけではない。やがて経験したことがないものを否定するようになる、これが一番怖いとわたしなどは思う方だ。なまじ多少なりとも成功でもするとそれは確信に変わる。そして自分以外の考え方に対して懐疑的ならまだしも否定的になる。ところが自分が知る世界のその外にはいくらでも世界は広がっている。自分が思いもつかぬ方法であるいは絶対ダメだと思う方法でうまくやる人間だっているのである。この厳然たる事実こそを体に叩き込んで謙虚になる必要がある。自分の経験とそこから得た結論を客観的にあるいは第三者的視点で見つめる試みでもある。

視点を変えて考えていただきたい。わかったつもりなっても実際はわかっていないとする。実際はわかっていないのだから実戦でうまくいかないのは当たり前である。だから、、、実戦で経験を積まないと本当の意味ではわからない、、こう考えるのはこれは思考が飛んでいる。わかったつもりでなく本当にわかる方法があるのではないか?そこが甘いから実戦でうまくいかないと考えてはどうだろう。もちろん経験も有力な方法だとは言えるだろうけど、どうせなら他人の経験も取り込みたいとわたしは思う。歴史から学ぶという言葉もある。

自分で一から考えると言っているわたしと矛盾するように聞こえかもしれないが矛盾していない。オギャーと生まれてそのまま今のわたしがいるわけではない。自分が学んだこと知り得たことあるいは経験も含めてそれらをベースに一旦既成概念を外して一から考え直すのである。その時に必要なことは想像力と感受性である。本を読んであいわかったでは知識を習得しただけ、そこで作者の世界に一度足を踏み下ろし内的な意味で自分の体験にする(感受性)そしてそこから自分の世界観を繰り広げる。(想像力)それがまさに他者の経験と自分の思考との邂逅。それがわたしの言う自分で一から考えるという意味でもある。読書を1時間したら同じくらいの時間をそれに当てるとよいとわたしは思う。

大人になるとなかなかそれができない。読んでわかった、読んでだめと即なる。すでに固定観念で凝り固まっているからである。わたしは子どもの頃とてもよく本を読む子どもだったけど、それ以上にその本を元に考え事をしている時間が長かった。その癖はいまだ消えずにいつでも何か夢想している。とんでもないことを考えるのが好きである。読んで物語に入り込む、自分が登場人物になった気持ちがする。そしてそこから今度は自分の物語の想像を始める。辛い幼心は内的に自由に解き放たれる。そんな子どもであった。少し悲しいけどとても懐かしいわたしの心象原風景である。


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