これがハルトモ 流

2018年11月04日
0
0
人生の考え方
さすがのわたしでもうまくまとめきれない感じだが一応考えたことを書いておこうと思う。

たぶん中学生から競輪の車券師をやっていたころまで、つまり15歳から30歳くらいまでは、アウトロー的な存在に憧れていた。自分で車券師で身を立てたら痛快だし格好いいなと本気で思っていた。その背景には社会の歯車になることを嫌う性向があった。だから受験勉強なんてバカバカしくてやる気もしなかった。

麻雀放浪記のドサ健とか出目徳なんてまさに我がロールモデル。激しく戦い生き抜き、そしてどこか破滅的な匂いを漂わせる。儲けるはしで儲けることをバカにして、それでどこかで最後野垂れ死ぬのを恐れず潔しとする、そんな勝負師に憧れていた。テレビに是川銀蔵氏が出ていたのをみてやはり格好いいなと思った記憶も実はある。もしその当時にあなたも株のプロになれるでも読んだらひょっとして心酔したかもしれない。だが今のわたしはそういう人たちにへの憧れはない。もちろん社会で名声を得るとか地位を得るとかへの憧れもない。安易に体制に迎合する柔な転向者でもない。

では一体何に憧れるようになったのか?実は誰かではない。誰にも憧れない人生に憧れるようになったのである。一度の人生である。誰かに憧れたり真似する必要はない。自分の価値観に基づき自分なりの一生をただひたすらに生き抜く。それが格好いいと思うようになったのである。幸い転職して入った外資系の会社は競輪よりも刺激的でわたしの勝負師魂を鼓舞するものであった。どうせ競輪では家は建ちそうもなかったしすっぱりと辞めた。その後株式投資にも参戦するわけだが、ビジネスもそして投資もまったく師匠もいなくて参考とする人も憧れる人もなく、自分流を貫いた。

根本的に物事を学んで習熟するという考え方ではないのである。子どもの頃から自分しか頼れないと感じさせる生い立ちというのもあった。でも子どものわたしはあまり未成熟でなんの力もない。それでもなんとか徒手空拳で生きてきてそれで30歳を過ぎたあたりから、漠然と自分というのはなかなか頼り甲斐があるなと感じるようになってきた。自分の性格を考えても、納得がいかないのに人のいいなりになるような人間でもない。であるならいっそ自分を師匠として自分を頼ってはどうだろう? これはわかりやすくていいやと思った。妙な面倒もない。ただそれがまともであってさらには貫けるのかと、それはなんとなく自信があった。孤独は好まないが孤立は怖くない。たぶん家族ができたのも影響がある。おもしろいのはビジネスでも株式投資でも大勝負は全部結婚後である。結婚して守りに入らずむしろ攻撃的に仕掛けた。逆に勝負に気合が入り官能的だったのか? かなり複雑系の人間で自己分析はよくできていない。

株式投資の話をすると、まったく勉強もせず本も読まずさらに師匠もいないで、その上でただの一度も損することなく、私くらいに儲ける投資家というのは私は聞いたことがない。どんな相場師だってみんな勉強してそして練習している。師匠もいる。つまり学んで実践して試行錯誤して習熟して、わたしから見るとその点においては普通の人に見えるのである。そしていつかは自分も師匠となりそれを後世に伝える。そこにコミュニケーションも成り立つ。わたしにはまったくそれがない。師匠もいなければ同好の士もいなければもちろん弟子もいない。わたしのブログを読んで刺激を受けるとか考えさせられるのもご自由だが、今まで学んだことを全部捨てて一から考えようにも誰もそんなことできないだろうしそんな気にもならないだろう。だから前にも書いたけど誰の参考にもならないブログだから笑ってお読みくださいと。投資について聞かれたら辞めておきなさいの一点張りである。

ところでゴルフ とか乗馬とかスポーツは自己流はだめよ。そんなところで意地を張っても意味はない。ちゃんといい師匠がいていい本もある。わたしはそのあたり素直に人のいうことを聞く。納得した上で学びそして練習する。なんでもかんでも自己流というわけではないのである。まあできたらゴルフも自己流で極められたらいいのかもしれないけど、そりゃ無理だ。できないことはしないというのもまたハルトモ流である。
関連記事
ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
自己紹介へ

Comments 0

There are no comments yet.

コメント投稿