変わっているVS間違っている

2018年10月26日
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人生の考え方
那須に来たのが6月だからもうじき4カ月ということなんだけど、え、まだ4ヶ月しかたってないのか?って思う。時間が進むのがとてもゆっくりに感じる。アッと言う間に時が経つなどと言うけど、試しに「アッ」て言っても何も起きない。やはりあっという間はせいぜいあっという間だ。私の場合那須に来たから時間感覚がそうなったというんじゃなくて昔からこの20年くらいはずっとそんな感じである。だから時候の挨拶のように、今年ももう何月、、早いですねえ、とか言われても上手に返答ができない。大袈裟に相槌を打つ気もしないし、かと言っていやいや私は、、などと論陣を張る気もない。ああそうですか、なんて間抜けな返答になるが、この場合の、ああそうですか、はなんだか変だ。向こうにすれば当たり前のことを言っているのに、例えばいいで天気ですねと挨拶して、ああそうですか、はないだろう。おかしな奴だということになる。

ことほど左様に間抜けでずれたレスポンスが多い私だけど、人から変わっているとは言われない。たぶん変わっているとか変人とかいう表現には理解不能なミステリアスな部分を含んでいる。私の場合はそういうイメージはなくて、非常に底が浅い人間に見えるようである。早い話が、ただズレているとか間違っている、という言うことである。この間違っているというのは、わたしは組織においていろんな人から事あるごとに言われてきている。そんなやり方ではうまくいかないよ、そんな考え方では成功しないよ、誰もそんなことやってないだろう、どれだけ言われたか。それで今の私である。私に辛口のアドバイスした人はどう贔屓目に見ても私より人生を謳歌しているようには私には見えない。まあ知らないけど。

人と同じことをしていてはダメだとは、それはよく言うことで、実は普通の人にも違和感なく響くセリフである。差別化とかビジネスの世界では当たり前のように語られる。それで多くの普通の人もそれなりに他人と違うようにはやろうとするんじゃないかなって思う。でも人が思いもつかないこと、あるいはどう考えても間違っていると思うことは、これは誰もできない。かくいう私だって自分で間違っていると思うことはやらない。(やらされるってのは論外)

つまりそこに行動を携わる思考の限界があるってこと。視点の限界と言ってもいい。視点を広げるとか言うけど広げるという時点ですでに間違っている。それは目の前にある。でもアカマツの陰にひっそりと佇む松茸のように見えないものは見えないのである。冷蔵庫を開ける、マヨネーズを探している。ところが見当たらない。おいマヨネーズがないぞとカミさんに言うと、あるじゃないとたちどころにワイフが冷蔵庫からマヨネーズを取り出すという経験はしたことはないだろうか? 目の前にあっても見えないものは見えないのである。

わたしのブログはこうした啓示に満ちていると自分では思っている。皆さん見えないでしょ、ざまあご覧あそばせ、てなもんである。さてここまで書いて、ではその見えないものが見えるためにはどうすればいいのか? 多分これを聞きたいと思う読者は結構いるんだろう。いつもなら、そんなこと人に聞いている時点でアウトなどと突き放す私だけど、それは安易に人に聞こうという姿勢がよろしくないということだけど、まあたまには何か言うなら、まずは見えている物しか見えないのでから、(それはわたしも同じ)、見えている物をどう見るかである。まずはよく観察せよ、そこにヒントがある。そしてどう考えるか? ここから実は長い。説明しようとすると長い。でもこういうこと書いても反響はないんだよね。面倒なのでやめておこう。結局いつもと似たような終わり方になった。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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