スッと立つのに20年

2018年10月22日
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日々の雑感ーリタイアライフ






少しマシな街着を着て渋谷に出張る。週に一度の呼吸法の稽古。20年通って何ができるようになったかて言うと、かなりスッと立てるようになったみたいだ。何処かに力が入るというのではなく自然体で立つ。見る人が見れば、お主なかなかやるな、くらいにはなったそうだ。もちろん見る人は世の中そんないない。見てもわからない人が殆どだ。

そんでスッと立てるとそれなりに呼吸が整っていると言うことみたいだ。呼吸が整えば気持ちが整いいわゆる肚が座るとなる。これも指導員の先生の受け売りで自分ではよくわからない。ただここ最近でよくなりましたねとは言われる。およそこの世で本物とか本質というのは、わからないとか言葉に表現できないとかいう部分を全部とは言わないけど幾ばくかは内包しているものかもしれないって気がする。

多くの人間は自分が理解できないものは価値がないとか間違っていると考える傾向がある。私はこれを弱者の傲慢と定義していて、自分が及びもつかないことが世の中にあるものだという畏れがない。教わったものが理解できれば十分だと長年刷り込まれてそれが傲慢だということがわからない。むしろ自分こそは謙虚な人間だと思う人間も多い。これは見せかけの謙虚と私は定義するが、人にへり下るわりには、身の程を知らず、例えば投資で儲けてやろうとか自分ができもしないことをできそうに思い込む。

本物の謙虚は自分ができないことはできないと知ることである。だから実は私は謙虚。私はやろうとしたことはたいてい実現する。逆に言えばできないことはやらない。世の中の多くの人は表面だけ見て私を傲慢と言う。だが私はただできることをできると言っているだけである。できもしないことをやろうとする方が余程傲慢なんだけど、そんなことわからない。そこまで考えたこともないのである。

どこまで行ってもわからないけど、その方向が間違っているような感じがしない。なんでいいのかうまく説明できないし自分でもわかっているとは言い難いが、だがこれで良いのだという確信がどこからともなく降りてくるだか湧いてくる。これなんである。境地と言っては多分大袈裟だ。わかってないんだから。だがこれでいいのだ、と天才バカボンの心境だ。それが全く外れないのだから多分これでいいのだ。





自宅近くでまあまあと思われるトンカツ屋に参上。一応納得がいったのでこれでしばらくトンカツ はいいや。
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ハルトモ
Posted by ハルトモ
自由人ハルトモ。那須とさいたまを毎週往復するリゾート&リタイアライフ、そして旅、投資ネタもありのブログです。
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