慣れたとか飽きたいうのもある
2018年10月04日
自分で自然を見て感動するというのはわたしはそんなない。山に登って峠から見下ろす景色に胸を打たれる気はするけどそれはそこまで自分が登ったというその行動の結果があるからだ。ひょいと行って見るのはまあ見てもいいけど見たら終わりって気がする。よく聞くと見るとは大違いって言うけど、景色はもう写真でいくらでも出回っているのでその写真の景色通りか大抵それ以下が広がっているだけである。
一方歴史に由来する場所とか遺跡とかいうのはわたしは日本でもそんな訪ね歩くというものじゃない。戦国時代が好きでその歴史に関わるところはけっこう回ったけど最初にその時代の好きがあってそれでやはり歴史の人の息遣いに耳をすませに訪れたわけでそれは極上の時間だけど、じゃあ縄文時代弥生時代って知らんし、エジプトだギリシャ、アンコールワットだって言ってもその時代もエリアも大好きでもないのに、ああ行ってみてこの目で見たいとまでは思わない。今はてテレビでいい番組があって家で見れる。
リゾートってのもこれは非日常で仕事が忙しい人には癒しになるんだけろうけど、まあ慣れてしまうとどこもそんなかわるわけじゃないし、そもそも癒しも要らないわたしのような人間は非日常への渇望がない。
いろいろ書いたけどそれなりに全部いろいろやった結果、そう思うってことで、まあ随分と贅沢な話ということなんだろうね。
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