考えるということと頭の良いということと
2018年09月26日
これは違うってことをこのブログで折りに触れて書いている。いくら頭が良くても考えるのを止めたらそこで終わり。人間というのは結論が出たとか、あるいは正解にたどり着いたと思うと安心してしまう。自分は正しいと感じた瞬間に思考が停止してしまう。特に学校教育で正解をたどり着くことが正と教え込まれた人間は他人が用意した答えにたどり着いただけで安心してそれ以上考えない傾向が強い。そこなんだね。わたしが言いたいのは。他人が用意した答えでいいのか? あと状況は常に変わるから答えも変わっていいはずでそのためには考え続けないといけない。まあ同じことを何度も言っているし、言いたいと言っても別にわかってほしいというわけでもないのだけど。
芭蕉で夏草といえば、夏草や兵どもが夢のあと、という名句を誰でも思い浮かべると思うけど、わたしが知る限りでは、芭蕉の句で夏草が入るものは他にもあって、芭蕉は那須も訪れてんのね。そこで源泉の赤く焼けた硫黄の匂いがする石のところに来て、そこでそばにきっと夏草もたくましく生えていたんだろうか、そんで詠んだらしい。
石の香や 夏草赤く 露(つゆ)あつく
夏草にかかる露まで熱かったらしいけど、どうにも凡作と感じるのはわたしだけだろうか? それは芭蕉でも出来不出来はあるわな。たぶん那須の湯で湯あたりしたんじゃないかしら。ゴルフと同じでプロでも叩く時は叩く。ましてアマチュアのわたしなんぞいくら叩いても当たり前だわな。
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