リゾートマンションでの生活もはや4ヶ月目、風呂でよく顔を合わせる人と話をする機会も増えた。このマンションの保有者はやはり高齢者が多くそれなりに世の中で成功した部類に入る人たちである。戸数の多いマンションながら管理費の滞納はほとんどなくその点ではどこぞの幽霊マンションとは全く状況が違う。
幽霊マンションとの差がどこにあるかよくわからないが、言えるのは購買層が異なるということである。無理してローンで買ったりはしていない。困って手放すという人もいないとは言わないが少ない。時々しか使わなくてもちゃんと管理費は払う。みっともないことなんかしたくない成功者が多いのである。
そんな成功者が温泉に浸かって昔の思い出を時々語ったりするが、一様に言うのはガムシャラに働いて働いて、ふと思えば今の生活が築かれていた、ということである。思えば遠くにきたもんだという感じ。世の中の成功者のステレオタイプと言える。わたしがこのブログで何度も書いている通り、稼ぐだけ稼ぐ人たちである。働くだけ働く人たち。一方わたしは自分がこうなりたいと思った分しか稼がない。だいたい目論見通りは稼いだ。身をすり減らすようにガムシャラになんて働かない。嫌なことは上司が言おうが誰が言おうがやらない。家族とか友人とかと遊びまくっていたのはこのブログの古い読者ならご存知の通りである。
金なんて要るだけ稼げばいいわけでどれだけ要るのかわからないとか、稼いでから使い道を考えるより、なんか自然だと自分では思う。肉食獣は要るだけしか狩をしない。それを稼ぐだけ稼ぐのは、注文する前にどれだけ食べれば満腹になるかわからないってことで、わたしは感心しない。
そのまた一方でわたしは自分が稼ぐ分については具体的にかなり若い頃からイメージを持っていた。具体的だけにそれを実現する予感が養われたのかもしれない。他者からみれば素っ頓狂なとんでもなく高い目標に見えたかもしれない。若い頃はよくホラ吹きと言われたから。でもそれは実現した。そして実現したのだからそれ以上稼ぐことは望まない。金だけじゃない地位とか名誉もはいよと簡単に捨てる。かつての成功も別に終わった話で頓着ない。
わたしのような人間がこの世にどれだけいるか知らないけど、まあ成功したと言える人が100人に一人として、その中でわたしのようなタイプはたぶんほとんどいない。そうすると100X10で1000人に一人とかあるいは1万人に一人とか。極端に珍しいタイプだと思われる。
小学校の時には施設にいたんで同級生とのつきあいはないけど、今でも中学高校の同級生はつきあいがあって、コメント欄にも書いたけどその中の何人も言うのは、今のハルトモを見てそうだろうなって思うってこと。なにせ同級生とかと全然雰囲気が違っていたらしい。ただ変わり者とか変人というのではないらしい。考え方がとにかく人と違う、そういう人間だったみたいだ。
そう言えば会社でよく言われたのは、もう少し利口になれとか、損をする性格だとか。笑っちゃうよね。そう言う大抵の人間よりわたしの方がずっと賢かったという結果になっている。損なんてしてない。これ以上得できないってくらいうまくも行っている。わたしこそ賢く生きていると自分では思うが、もちろん同意する人間は少なくて、運がいいからけっこうな暮らしができたと思っている人も多いかもしれない。まあわたしが言えるのは自分が学んだことや人から言われたことを一旦横において自分で一から考えたら良い。賢さはそこに現れる。
自分の頭を最大限使うことこそが賢く生きるということだろう。自分は賢くないっていう反論は聞かない。やらずになんで言える。やってみなければわからない。頭の出来とは違う話である。頭の出来が足りなきゃそれだけたくさん考えればいいだけの話である。