一体誰がバカなのか?
2018年07月18日
こいつら前説だけで出番なし。かわいそうだった。
渋谷に気功の稽古に出かけた。最近は西野先生が毎週稽古に出てこられる。登場すると心から拍手を送る。アメリカの会社で働いていた時は割とトップに拍手する機会とかあって、アメリカ流のおべんちゃらで誰も心から拍手をしていないのだけど、それでもされる方はみんな気分が良いように見えてそれだけでバカな奴だと思っていたが、今となっては話のネタである。
西野先生には私は心から拍手する。コンサート以外で登場しただけで拍手するのは他に記憶がない。と思ったら忘れていた。寄席である。こいつはたくさん拍手する。ということで暑い中、2日続きで東京出張。ゴルフの合間に浅草の東洋館に行ってきた。今日はお気に入りのWモアモアが出ていた。12時から4時半までたっぷり笑える。ヘボもでるが苦笑はできる。
寄席に来ているのは老人ばかりである。多分新聞の勧誘かなんかで無料券を配っていて会場前に行列が並んでいる。彼らは無料客なので後から入る。わたしはさっさと金を払って入場、一番前の席に陣取る。わずか2500円でこれで十分と思うけど、こんなところにも猛者はいて、一人だけ金を払って入り席を2つくらい取っている。後から知り合いが無料券でやってくる、というわけである。人間というのは抜け穴があると必ずそこを通りたがる生き物だなあと思うがそこは節度である。誰かが限度を超えてやらない限りその美味しい話は続くのだが、一人でたくさん席を取れば目立ってクレームでもくる。主催者も対策をせざるを得ない。
楽天の一人予約で別々に予約を入れてよくカミさんとプレーしていた栃木のあるゴルフ場、女性一人目無料という特典がある。月に一度程度ポツリと利用している分には何の問題もないのだけど、やはり限度をわきまえない輩がいる。ネットで友達同士でやたら予約を入れ回ってそれで適当にキャンセルする。ほかのまともな予約を入れたいお客からクレームが来て結局身内や友達同士の一人予約は禁止になってしまった。自分の首を自分で締めたというわけだが、この例に限らず、日本の庶民は自分で自分の首を締めるのが得意である。金持ちは余裕があるから自分で自分の首は締めない。
このブログで何度か触れている芥川龍之介の作品のうち、蜘蛛の糸、この話を読んで自分一人だけ助かろうというあさましい人間にそれなりの結果がくだったというのが普通の理解、馬鹿庶民は誰かがのし上がるよりみんなで耐えるのを良しとするのである。もうひとつ別の見方もわたしはしている。細い蜘蛛の糸が切れるかどうか気にもかけずに後から後からぞろぞろと登ってくる人間たちの馬鹿さ加減である。一番上の人間が下に向かって叫ぶ通りみんなが何も考えず登ってくればそりゃ切れても不思議はない。
まずそいつを行かせてどうなるか? 観察するのが賢い選択だろう。糸を登ったからと言ってまんまと地獄から逃げ果せるかそれはわからない。それで仮にうまく行くとしたら、さて次はどうするか? そこで賢い人間は議論を始める。議論をリードして一度に何人乗っても大丈夫だろうか? そしてどういう順番で上がっていくか? 多数が公平と認めるルールを作ろうとする。多数が認めるならそれは通る。だがよく考えるとそのルールは巧みに作られていて、誰かが公平の名の下、得をする仕組みになっている。これが実はこの世の現実である。私が別説蜘蛛の糸を書いてもいいくらいだな。
大いに笑ってその後浅草をぶらつく。こういう生活は栃木ではできないから、やはりずっと田舎というのはわたしは良しとしない。そのあたりはかなり欲張りである。
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