ストレスと健康とリタイアと
2018年07月12日
宮仕えという言葉があるように、大きな組織にいることで受けるストレスというのはこれは当然あると、誰もが思うようだ。KEYさんのいた職場も相当ストレスフルだったようである。ベトナムさんのブログを読んでいても会社にいることで相当なストレスを感じておられるようだとやはり思う。
ブログ関連でなくても、個人的な友人知人見渡してもやはり組織にいることで相当なストレスを皆感じていると思うが、根底にあるのは組織の中でそれなりのポジショニングを求める心持ちがストレスの発祥じゃないかしら。誰も怖くなく誰が何を思おうがなんとも思わなく、そして組織から弾きだれても構わないともし思うなら、つまり組織に何も求めないなら、これはストレスにはならないんじゃないかと思う。
ちなみにわたしはそういうサラリーマンだった。会社にいて若い頃はいろいろあったが思い極めた以降それほど嫌な思いをした記憶がない。会社では傍若無人やりたい放題怖いもの無し。だから長いこと勤められたし案外偉くもなったし年金も生涯いただける。じゃあ定年までいても良かったと言われそうだが、会社も変わるもので窮屈に感じる場面も増えて、それよりもう金はこれ以上稼がんで良いという状態になったから、それではとバイバイして児童養護施設に行って数年頑張ったというか遊んで、それでいまのリタイヤライフというわけである。
ハッピーリタイヤを成し遂げた人でも、現実世界からの脱出的なイメージを持っている人はわりと多くて、前述のKEYさんも職場が嫌でたまらなかったと言う。内山さんという医師からリタイアした方もやはりストレスフルな生活からの脱出をしてリタイアされた方である。
人間というのはお金が必要だから働くわけで、お金があるなら労働するのはスポーツという意味以外はないと言ってしまいたい。誰かの役に立っているとか、必要とされているのか、などと小賢しい理屈を述べる時点ですでに組織への帰属の呪縛が垣間見れる。
人間というのはお金が必要だから働くわけで、お金があるなら労働するのはスポーツという意味以外はないと言ってしまいたい。誰かの役に立っているとか、必要とされているのか、などと小賢しい理屈を述べる時点ですでに組織への帰属の呪縛が垣間見れる。
つまりだ、なんで遊んでくらすのか?ということに理由は必要ないと言いたいのである。およそ働くこと以外はすべて遊びである。働くことそのもだってやりようでは遊びである。遊んでいてそれでいいんでないかね?
そんな考えでこの世の中どうなるんだ?とか そんな偉そうな理屈は聞きたくもない。ほとんどの人間が自分のことで精一杯、ひーこら行きているだけなんだから。
今日はホームコースの薄暮プレーで歩きで20ホールほど回った。新しいアイアンとドライバーの距離感を確かめた。20ホールで半分くらいバーディパットを打ったが3つ入った。バーディをとることでわたしはどれだけ世の中の役に立っているのか?こんなこと考える意味はないのは自明である。バーディが意味がないのではなく、世の中の役に立とうと思うことが、実はどれほどの意味があるのか?あんたそんなに偉いのかいてなもんである。
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