不本意ならやらないこと

2018年07月02日
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人生の考え方
それにしてもさいたまは暑い。夜も朝もエアコンなしではいられない。リゾマンではエアコンは使っていないから特に暑さを感じる。

サッカーは日本代表が決勝トーナメント進出を果たしたけどその戦い振りにいろいろ議論はあるようだ。日本ではそれほど批判的な報道はないけど、実際会場ではブーイングがあったわけだし批判する他国の報道も多くあったようである。試合後監督も選手も不本意であったと自分で言っていた。決めた監督が不本意だと言うのは、だったらやらなきゃよかったんじゃないかてわたしなど思う。人間というのは不本意なことをすることで精神的にダメージを受けそれは蓄積されていくというのはわたしがこのブログで散々書いていることである。

サラリーマンなら嫌な上司に不本意なおべっかをしてライバルに先駆けて課長に昇進した、てなところだろう。その時はよく見えても後々ダメージが残る。こう書くとおべっかをしたことがよろしくないという話だと勘違いする人がいるかもしれないが、そうではない。世の中にはおせじおべっかを得意として嫌じゃない人間もたくさんいるのである。そういう人間にとってはおせじおべっかは出世の道具だからそんなこと別に嫌でもない。不本意でやっていることではないから精神的にダメージなどない。(他人がどう見るかは別の話)

ポーランド戦の後半、素人のわたしが見ても明らかに日本チームの動きは悪かった。パス回しが遅い。動きが遅い。疲れているように見えた。あの状態で日本が点を取るとは到底思えなかった。逆にイエローカードを恐れてポーランドに得点を許していた可能性も相当あった。一方並行して行われれていたセネガルーコロンビア戦はこれは後半の後半セネガルが総攻撃という形であったが、コロンビアもよくボールを支配して、これは守りきるだろうなという印象をわたしのような素人でも感じた。

素人素人と言うけど、わたしは静岡ではサッカーの名門高校の出身だから、サッカーをやってはいないけど、それなりに興味を持って長く見て来ているので、わたしと同じように感じたファンは多かったんじゃないだろうか?

そういう状況で西野監督は決断した。結果吉と出たが、もしアディッショナルタイムに入ってセネガルが得点したら、そしたらそこから急に日本は総攻撃に転じて、そして時間切れというまるでミッドウェー海戦のような間抜けな結果になっていたんだろう。その時に西野監督はどのような批判を浴びるであろうか? 想像に難くない。そのまま試合を続けて点を取りに行っていたなら、とんでもないという批判は浴びないわけでそれを承知での賭けだった。

立派なもんじゃないかとわたしは思う。問題はそれを不本意であったと自分で感じて口に出すことである。だったらやらなきゃよかったのである。詰まる処どっちでもいいのである。どっちを選らんでどっちに転がるか誰もわかりはしない。もしわたしが監督だったら(ありえんが)同じ決断をしたかもしれないとわたしは思う。そして結果はどうなっても試合後胸を張ってわたしは自分の判断に納得していると答えるだろう。それはきっと選手にも良い影響を与える。もやもやが晴れて新たな気持ちで闘志満々でベルギー戦に臨める。人間というのは気持ちの影響を大きく受ける生き物だからこれが結構大切なことだとわたしなどは思う。

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