格差は何故ゆえ維持されるのか?
わたしの労働現場。今の私にとって労働はスポーツである。
細かな数字は詳らかにしないしこれからする話の趣旨としてさほど重要ではないのだけど、日本にはおよそ200万人くらいの富裕層がいるとして、さらに1500万人とか2000万人の貧困層がいるとして、およそ格差というのはこの貧困層と富裕層の対極で語られることが多い。
だが実際は両者の間におよそ1億人もの中間層がいるわけだ。今後富裕層と貧困層の二極化が進むと言われている。これを聴くと中間層は自分が富裕層に成り上がる期待よりはるかに大きな貧困層への転落への恐怖を持つ。だからそれこそ年金の代わりに死ぬまで働かねばなどと気持ちを新たにするのであるから、二極化論はむしろ中間層の恐怖を煽り労働への意欲を高めるスイッチとして機能しているとも言える。
貧困層と富裕層の格差は拡大しているのかもしれないが、それと二極化は別の話である。実際には1億人の中間層は簡単にはいなくならない。多少減って1億人が何千万人かになっても日本の人口のメジャーを占め続けることは間違いない。なぜならこの中間層こそ格差社会の主役だからである。
格差が維持され広がっていくのは富裕層がこの世をコントロールしているからでもない。実は日本の富裕層のほとんどはそんな賢くない。相続と恵まれた教育環境で今の立場を得ているだけである。いくら金持ちの家の子でも児童養護施設にほうりこめば99%富裕層にのし上がれない。
では一体誰がこの世の秩序を維持しているのか?じつは中間層が必死に自分の身を守ることでこの世は維持されているのである。その中間層の努力は意図せずして富裕層を利し、かつ最下層からの成り上がりも阻止している。中間層は天地がひっくり返るような変革も望まないし、また育ちの良さへのあこがれと同時に成り上がりへの反感を持つので現体制維持のベクトルを強く支持する。
中間層の大部分は富裕層から見れば実は奴隷で貧困層とさほど変わりはしないのだが、そのことに気づいている中間層がこれまた少ないというのも体制維持の意味でよくできた構図である。自分が上等だと思い込んだ奴隷ほど体制にとっては扱いやすいというわけだ。ということで奴隷自身が奴隷制度の継続を強く願っているのであるからこの世がそんな簡単に変わるわけはない。
さて、ではこの世で貧困層からのし上がるにはどうすればいいのか? ハルトモのブログはその啓示に満ちているが、残念なことに貧困層はまずこのブログを読まない。貧困層はおしなべてわたしのレトリックを好まず短く単純なセンテンスを好む。ちょっと捻るともうついていけないのである。
一方中間層はわたしのブログをいくら読んでもわたしのようにはならないだろう。まあ違う表現をすれば、なる奴は勝手になるのである。ただわたしのようにはやらないし出来ない。ということで結論。このブログは誰の役にも立たない。ただ読んで面白いというの別の話で、何度も言うようにご笑読いただければこのブログの目的はほとんど達せられているのである。
- 関連記事
-
-
知力を最大化してかつ感性がそれを上回る 2017/11/27
-
人は何のために生きるか? 2016/09/25
-
「始めに言葉ありき」わたしの言語中枢にあるものは、、たぶん「聖書」 2023/08/14
-
良き人間関係に恵まれるためにー少数派を積み上げる 2019/12/05
-
怒りを吐き出すとスッキリするという勘違い 2023/08/17
-